旧三条京阪駅にある昭和を風靡した俳人の句碑
山口誓子(やまぐちせいし)は京都出身の俳人で、本名は山口新比古(やまぐち ちかひこ)。この句碑は昭和45年(1970年)8月に建立されたもので、その前年にこの句を詠みました。
山口誓子は旧制三高を経て東京帝国大学法学部卒業。京大三高俳句会で鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)、日野草城(そうじょう)に指導を受け、『京鹿子(きょうかのこ)』『ホトトギス』に投句。東大俳句会では高浜虚子(きょし)の指導下に水原秋桜子(しゅうおうし)らと活躍し、「ホトトギスの四S」と呼ばれ、多くの作品を残していて、120を数える句碑が全国に建立されていることからも、当時売れっ子の俳人であったことがうかがえます。
私自身、京都出身のそんな俳人がいたことを、ここに来るまで知らなかったわけですが、山口誓子の句碑は非公開も含めると市内に他3つあり、かなり知名度ある俳人だったんだなぁと改めて感じ、他の作品にも触れてみたいな、と思うほど。
こうして探してみると、歌碑や句碑が至る所に数多く残る京都。風景とともに詠んでみると、また情感がわきますね。
山口誓子は旧制三高を経て東京帝国大学法学部卒業。京大三高俳句会で鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)、日野草城(そうじょう)に指導を受け、『京鹿子(きょうかのこ)』『ホトトギス』に投句。東大俳句会では高浜虚子(きょし)の指導下に水原秋桜子(しゅうおうし)らと活躍し、「ホトトギスの四S」と呼ばれ、多くの作品を残していて、120を数える句碑が全国に建立されていることからも、当時売れっ子の俳人であったことがうかがえます。
私自身、京都出身のそんな俳人がいたことを、ここに来るまで知らなかったわけですが、山口誓子の句碑は非公開も含めると市内に他3つあり、かなり知名度ある俳人だったんだなぁと改めて感じ、他の作品にも触れてみたいな、と思うほど。
こうして探してみると、歌碑や句碑が至る所に数多く残る京都。風景とともに詠んでみると、また情感がわきますね。
基本情報
場所:三条京阪 京都市東山区五軒町
15 件
東海道五十三次の発着場であり、歌川広重『東海道五十三次 三条大橋』の絵のモチーフにもなった街の中心を流れる鴨川にかかる橋・三条大橋。江戸時代に出版された『東海道中膝栗毛』の舞台にもなり、主役である弥次郎兵衛と喜多八の像が西詰にあります。さらには幕末、池田屋騒動でついたとされる擬宝珠の刀傷が今も残り、その歴史の古さを感じることのできる橋。