2019年9月20日 更新

【京都史跡めぐり】豊臣秀吉が伏見城に設けた織田信長の墓石!ウォーキングコースの一角☆「伏見港公園」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は伏見区にある公園内。かつて豊臣秀吉が築城した伏見城内にあった織田信長の墓石。

伏見区民憩いの場・伏見港公園一角にある織田信長の墓石

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伏見区中書島。濠川(ほりかわ)や宇治川がすぐ近くにあり、水の豊かな場所。そして、かつては大阪と京都を結ぶ水運の拠点であった河川港「伏見港」。その跡地に公園があります。

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公園内にはテニスコートや体育館、プールもあり、地域住民に活用される憩いの場でもあり。私も昔プールや体育館を活用したことがあります。

公園内はウォーキングコースになっていて、公園内をグルッと1周するようになっていますが。
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そんなコースの途中、テニスコートの南側。
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植え込みに覆われた一角があり、駒札が立っています。
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駒札には『織田信長公塚石(墓石)』と書かれています。

え!こんなところに織田信長の墓石が?と一瞬伏見と信長の関係性が繋がらず、疑問に思ってしまうんですが。織田信長のお墓は以前上京区の阿弥陀寺にあったと記憶していますが。
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じつはこちら、豊臣秀吉が伏見城(桃山城)にいた頃、追慕のため君主であった織田信長を弔うために設けた墓石。

戦後の昭和23年、もともとこの界隈一帯は墓地だったそうですが、現在の場所に墓地を移転。台石もあったそうですが行方不明に。昭和30年に大阪枚岡法照寺庵主により発掘。以来、このように祀っているとのこと。
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この背後にあるのが墓石ですかね。石には特に何か刻まれている雰囲気はありませんでしたが。

まあ、考えてみれば、豊臣秀吉は織田信長の筆頭家臣。本能寺の変で討たれた織田信長の敵討ちに山崎の戦いに発展した経緯を思うと、自分の城に信長のお墓を設けていても、おかしくないかもしれませんね。ちょっと意外な場所にある墓石でした。

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