2021年8月23日 更新

【京都ぶらり】大河ドラマ『麒麟がくる』で注目☆徳川家康の逃亡路「伊賀越えの道」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は京都府綴喜郡宇治田原町にある史跡。NHK大河ドラマでも描かれた、戦国武将・徳川家康が活用した道。

『本能寺の変』の後、徳川家康が逃亡に使ったルート

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京都府綴喜郡宇治田原町。日本の緑茶発祥地として知られ、全国的にも知られるお茶のブランド『宇治茶』の中心的産地。京都はお茶の生産量の都道府県別ランキングで第5位を誇ります。宇治茶というと、宇治市がその原料原産地かと思ってしまいますが、実際にはこの宇治田原町やその周辺が主な産地だったり。

そんな場所を観光中、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも注目された場所がある、というのでやってきました。途中、山の斜面の茶畑を目の当たりにしたり、アスファルトながら山道を歩きつつ、そこを目指します。
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すると、少し開けた道の交差点。と言っても、山中ののどかな風景が広がり、とても静かな場所。アスファルトの道路もあり、周辺には畑が広がる農道もあり。
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そんな場所にある案内板に『家康・伊賀越えの道』とあります。

大河ドラマでも描かれ、日本史上最大のミステリーと謳われる「本能寺の変」。主君・織田信長を襲撃し、天下をおさめた家臣・明智光秀によるクーデター事件。その真相は今も明らかになっておらず、大河ドラマの中でもどう描かれるか最終回予想もされたほど。その本能寺の変の一報を聞き、織田側についていた徳川家康はこの伊賀越えの道を使い、逃亡したと伝わっています。
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天正10年(1582年)、信長の招待を受け、本能寺の変の起こる数日前から畿内各地を見物中だった家康は、泉州・堺で事件の知らせを聞きました。この時、家臣は本多忠勝・服部半蔵・武田氏の旧臣穴山梅雪等わずか30人余りの少数。太刀打ちできるような状態になく、一旦本国三河に戻り、戦略を立て直そう、と。
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一行は、堺から伊賀越えをし、伊勢から航路で三河に渡り帰還。その際、信楽へ続くこの道を通ったと言われています。周辺を見渡すと、鬱蒼とした緑の山道で、いかにも落ち武者狩りの土民が待ち構えていそうなロケーション。きっと、鬼気迫る脱走であったことが偲ばれるような場所。
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現在では、この近くの観光スポットをはじめ、この伊賀越えコースも山城と近江を結ぶ交通路「信楽街道」のルートを基に、全行程距約8km、所要時間約5時間かかる、モデルコースとして設定。
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今回はチラッとここだけの散策でしたが、実際全域を歩いてみて家康気分を味わってみたいな、と。これからの行楽シーズンに良さそうな散策コースです。

基本情報

名称:家康・伊賀越えの道
場所:京都府綴喜郡宇治田原町奥山田
関連サイト:https://ochanokyoto.jp/spot/detail.php?sid=134
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