里山の小路にある和歌や俳句にも詠まれる名所『朧の清水』
文治元年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡し、源氏に追い詰められ安徳天皇とともに入水するも徳子のみ助けられた末、寂光院にて出家し尼僧として余生を送ったと伝わっています。その寂光院に入る際、日が暮れる道すがら、月の明かりで清水の水鏡にやつれた姿の我が身を見て、嘆き悲しんだと伝わります。
古くから和歌や俳句の歌枕(和歌の題材とされた日本の名所旧跡)として詠まれ、都名所図会にも記された場所。歌人・吉田兼好の「大原やいづれ朧の清水とも知られず秋はすめる月かな」や俳人・与謝蕪村の「春雨の中におぼろの清水かな」などでも詠まれた名所。
建礼門院の悲しい生涯をも映し出した清水ということが、歌枕として活用しやすかったのかもしれませんね。
古くから和歌や俳句の歌枕(和歌の題材とされた日本の名所旧跡)として詠まれ、都名所図会にも記された場所。歌人・吉田兼好の「大原やいづれ朧の清水とも知られず秋はすめる月かな」や俳人・与謝蕪村の「春雨の中におぼろの清水かな」などでも詠まれた名所。
建礼門院の悲しい生涯をも映し出した清水ということが、歌枕として活用しやすかったのかもしれませんね。
詳細情報
名称:朧の清水
場所:京都市左京区大原草生町102
場所:京都市左京区大原草生町102
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