2015年12月24日 更新

【恐怖スポット】不可解なアクシデントに遭遇「粟田口刑場跡」【観光】

本当なら夏場にこのレポートをご提供できたらよかったかもしれません(笑)まあ、こういうスポットに興味があるので個人的には季節問わずです。京都も古い歴史のある町。そこにはいろいろな戦乱の時代もあり。そして、幾多の人々が亡くなっていった歴史でもあり、曰く付きの場所も。夜に行くとなると、ちょっと背筋が凍るような・・・そんな恐怖スポットをご紹介。シリーズになるかどうかはわかりませんが(笑) 今回は、山科にある粟田口刑場跡をご紹介します。

九条山に差し掛かるあたりに石碑が!

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山科から九条山に向かう三条通り沿い。日ノ岡を過ぎたあたりに石碑が。こちらは日ノ岡刑場跡となります。
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平安遷都(794年)から明治時代の東京遷都まで、京都では、たくさんの罪人が処刑され、いまのちょうど蹴上駅付近。そこは粟田口刑場と呼ばれ、都が京都にあった約1,100年ほどの間に15,000人以上の罪人が処刑されたそうです。そういえば「蹴上(けあげ)」という地名も、処刑された罪人の首がゴロゴロと転がっていて、蹴り上げるほど無数にあったことからその名がついた、という話は有名。この他にも、山科には血洗町という地名があるのですが、これもその昔戦で使用した血の付いた刀をこの地で洗ったことから名づけられた、との言い伝えが。恐ろしや。

今回ここでの撮影後、九条山峠を目指して自転車を走らせていたら、突然ペダルがロック。見ると、ありえない具合に木の枝がチェーンに巻き込まれ、ペダルが動かない状態に。30分くらいかけてなんとか復帰。もしや、これはこの地を取材したたたりでしょうか(悪寒)

粟田口刑場跡への口コミ

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