AIを信じて、途中ルートを間違えて滅(泣)
江戸から京都・三条大橋までを結んだ五街道の一つ『東海道五十三次』。 道中には53の宿場もあり、歌川広重の浮世絵などでも知られ、街道の面影を色濃く残し、当時の旅人気分を味わえるウォーキングスポットとしても人気。
そんな東海道五十三次とは別に『東海道五十七次』があるのをご存じですか?江戸時代元和5年(1619年)に東海道の延長線として、江戸から大阪・高羅橋を結ぶルートに宿場が設置。元々豊臣秀吉が大坂城・伏見城などを結ぶために整備したものでしたが、江戸幕府がこの区間も道中奉行の管理下に置き、東海道に組み込んだという街道。そしてNHK番組『ブラタモリ』でも紹介され、注目を集めています。
そんな東海道五十三次とは別に『東海道五十七次』があるのをご存じですか?江戸時代元和5年(1619年)に東海道の延長線として、江戸から大阪・高羅橋を結ぶルートに宿場が設置。元々豊臣秀吉が大坂城・伏見城などを結ぶために整備したものでしたが、江戸幕府がこの区間も道中奉行の管理下に置き、東海道に組み込んだという街道。そしてNHK番組『ブラタモリ』でも紹介され、注目を集めています。
そんな街道歩き、前回からの続きで、スタート地点・伏見宿からこの日のゴール地点・淀宿まで。
ですが、最初から残念なお知らせです。予定どおり、伏見宿から淀宿までは1日で踏破できたわけですが、途中のルート情報が錯そうし、誤ったルートを歩くことに。大方の見解、当時の東海道五十七次に組み込まれている『京街道』は、現在の京都府道・大阪府道13号京都守口線が基本ルートとなり、そこから一部離脱したルートになってしまいました。ですので、以下参考ルートとしてご参照ください。
ですが、最初から残念なお知らせです。予定どおり、伏見宿から淀宿までは1日で踏破できたわけですが、途中のルート情報が錯そうし、誤ったルートを歩くことに。大方の見解、当時の東海道五十七次に組み込まれている『京街道』は、現在の京都府道・大阪府道13号京都守口線が基本ルートとなり、そこから一部離脱したルートになってしまいました。ですので、以下参考ルートとしてご参照ください。
前回のゴール地点、京阪・中書島駅から東海道五十七次歩きの再開。
駅から西へ向かうかつての京街道(東海道五十七次)の伏見宿~淀宿をつなぐ淀堤の道筋、府道124号線。その途中の神社『金井戸神社(三栖神社御旅所)』。
街道らしい旧京町家、そしてこの日は三栖神社の秋まつりの日でした。周辺では提灯が上がり、御神輿の準備もされていました。奇祭・炬火祭で有名な神社。
街道らしい旧京町家、そしてこの日は三栖神社の秋まつりの日でした。周辺では提灯が上がり、御神輿の準備もされていました。奇祭・炬火祭で有名な神社。
濠川右岸沿いに走る京街道を南下すると『伏見港みなと公園広場』に。最近では琵琶湖疏水が国宝指定されたことから、疏水沿いの遊歩道『そすいさんぽ』が設計整備され、利用しやすい散歩コースに。
宇治川河口にある『三栖閘門(みすこうもん)』。
昭和4年(1929年)に建設された伏見港の濠川(疏水)と宇治川との水位差を調整するために使われた水門。淀川舟運全盛期において重要な役割を果たし、船の通航が可能に。この時、ちょうど観光船『十石舟』が行き来している最中。酒蔵周辺だけでなく、三栖閘門も出航地点になっているんですね。
昭和4年(1929年)に建設された伏見港の濠川(疏水)と宇治川との水位差を調整するために使われた水門。淀川舟運全盛期において重要な役割を果たし、船の通航が可能に。この時、ちょうど観光船『十石舟』が行き来している最中。酒蔵周辺だけでなく、三栖閘門も出航地点になっているんですね。
ここの辺りから、間違いルートにシフト。
京街道を進むと、東高瀬川を横切ることになりますが川を渡る橋がなく、一旦上流に引き返して最寄りの三栖橋を渡り、府道124号線へ。最終的にはこの府道124号線が京街道(東海道五十七次)ということらしいです。
基本的に京阪電車の線路沿いを行けば淀駅に着く、ということになるわけですが。
京街道を進むと、東高瀬川を横切ることになりますが川を渡る橋がなく、一旦上流に引き返して最寄りの三栖橋を渡り、府道124号線へ。最終的にはこの府道124号線が京街道(東海道五十七次)ということらしいです。
基本的に京阪電車の線路沿いを行けば淀駅に着く、ということになるわけですが。
ここからグーグルマップ上の『京街道』表記がない空白区間。なので、基本宇治川沿いを歩けばいいんじゃね?しかも、河口付近になるとまた上流まで遡って橋を渡る羽目になるのでは?との懸念から、宇治川左岸を歩くことに。AIに聞くと、左岸こそ東海道五十七次だ!みたいな回答だったこともあり(言い訳笑)
しばらく進むと、この間違いルートはかなり過酷であることがわかり、歩いている人皆無。普段なら主にロードバイクが行き来するサイクルロード。さらに、川沿いに湧く羽虫(恐らくユスリカ)多数で全身で羽虫を浴びるような場面も。害虫として特に問題があるわけではありませんでしたが。
かつてこの辺りにあったとされる『巨椋池』は宇治川・木津川・桂川の3つの川が流れ込む大遊水地(巨大な池)で、周辺では蚊の発生とマラリア感染に悩まされてきた歴史。昭和8年(1933年)から大規模な国営干拓事業が進められ巨椋池は姿を消し、現在のような広大な農地へと生まれ変わりましたが。途中、その頃の名残りを感じさせる施設『巨椋池排水機場』を横目に。
かつてこの辺りにあったとされる『巨椋池』は宇治川・木津川・桂川の3つの川が流れ込む大遊水地(巨大な池)で、周辺では蚊の発生とマラリア感染に悩まされてきた歴史。昭和8年(1933年)から大規模な国営干拓事業が進められ巨椋池は姿を消し、現在のような広大な農地へと生まれ変わりましたが。途中、その頃の名残りを感じさせる施設『巨椋池排水機場』を横目に。
淀宿は宇治川左岸の対岸側にあるため、一旦遠回りして淀大橋を渡り、京阪電車高架下を通り京都競馬場方面に戻るルートに。
その途中、徳川幕府築城の城跡『淀城跡』。
元和9年(1623年)徳川幕府の命により松平定綱築城の遺構。もともと豊臣秀吉の時代、側室・淀殿(茶々)のために築城。現在は石垣は天守台などの遺構が公園内に保存されています。
「旧淀城(淀古城)」は、この場所から北へ向かった納所周辺にある寺院「妙教寺」あたりにかつて存在したと伝わっています。
元和9年(1623年)徳川幕府の命により松平定綱築城の遺構。もともと豊臣秀吉の時代、側室・淀殿(茶々)のために築城。現在は石垣は天守台などの遺構が公園内に保存されています。
「旧淀城(淀古城)」は、この場所から北へ向かった納所周辺にある寺院「妙教寺」あたりにかつて存在したと伝わっています。
昼時を迎え、京都競馬場前にある町中華『呑龍』にてランチ休憩。庶民派価格の定食ランチと毎日食べてもよさそうな身体に優しい美味しさでした。
そして『京都競馬場』へ。地元では昔から“淀の競馬場”と呼んでいましたが。コースの中央の池に浮かぶ弁天島もよく見え鳥居もあり、かつての巨椋池の名残り。
というわけで、途中ルート変更もありつつ、ゴール・淀宿に。淀宿を思わせる主要な史跡としては、淀城跡くらいですね。今回は間違いルートで立ち寄れませんでしたが『戊辰戦争淀千両松の戦いの碑』も。あとはひたすら京阪電車線路沿いで、わりと近年建てられた住宅街経由の道で、宇治川沿いより歩きやすいルートではあります(笑)ご参考に。
というわけで、途中ルート変更もありつつ、ゴール・淀宿に。淀宿を思わせる主要な史跡としては、淀城跡くらいですね。今回は間違いルートで立ち寄れませんでしたが『戊辰戦争淀千両松の戦いの碑』も。あとはひたすら京阪電車線路沿いで、わりと近年建てられた住宅街経由の道で、宇治川沿いより歩きやすいルートではあります(笑)ご参考に。
マップ
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