通り名『千本通』の由来が今出川以北に
千本今出川通り。その古いたたずまいが他の通りにはない独特さがあり、個人的に興味深い千本通。前々から千本通の歴史に興味があり、ずっと通りをめぐってみたいと思い、ここを起点に南端の淀・納所までその道中のご紹介しました。
なのですが、北端は鷹峯。『千本通』を紹介するなら今出川から鷹峯が要。それを端折るとは本末転倒!的ご指摘を受け、再度今出川から北上することになりました(汗)
今出川から北へは若干緩やかな傾斜。このあたりは商店街になっています。
その商店街の切れ目、千本寺之内にある高野山真言宗のお寺・千本えんま堂。
寛仁年間(1017 – 1021年)、源信の弟弟子・定覚により開山。現世と冥土を行き来し、閻魔王とも交流があったと伝えられる小野篁(802年 – 853年)開基。
境内には閻魔像が安置。
境内には閻魔像が安置。
境内には閻魔像が安置されていたり、死者の魂を送り、塔婆(とうば)供養と迎え鐘を用いて先祖の魂を再びこの世に迎えて供養する場所でもあり。
言わば、ここはあの世とこの世をつなぐような場所。
言わば、ここはあの世とこの世をつなぐような場所。
さらに北上します。
通り沿いにお墓やお寺も。
その途中に船岡山があり、現在では公園もあり高台から市内を一望でき、大文字山も見える場所。
そして、先日放映されたNHK番組『ブラタモリ』の西陣編でも紹介されていた船岡山。
千本通はかつて平安京の主要道路・朱雀大路。そして、この辺りは「蓮台野(れんだいの)」と呼ばれ、平安時代は風葬が一般的だったようで平安京の三大風葬地のひとつ。この地で死者の魂を弔ったといわれています。山の途中にはこんな石仏が見られ、ここがかつて葬送場であったことがうかがい知れます。
千本通は朱雀大路からこの船岡山へと続く道。道沿いには卒塔婆 (そとば) を千本立てて供養したことから、「 千本通 」と呼ばれるように。
それを思うとちょっと怖いような(笑)
千本通はかつて平安京の主要道路・朱雀大路。そして、この辺りは「蓮台野(れんだいの)」と呼ばれ、平安時代は風葬が一般的だったようで平安京の三大風葬地のひとつ。この地で死者の魂を弔ったといわれています。山の途中にはこんな石仏が見られ、ここがかつて葬送場であったことがうかがい知れます。
千本通は朱雀大路からこの船岡山へと続く道。道沿いには卒塔婆 (そとば) を千本立てて供養したことから、「 千本通 」と呼ばれるように。
それを思うとちょっと怖いような(笑)
さらに北上して千本北大路。
この界隈には天皇や高貴な身分の方々の火葬塚がいくつかあり。こちらは後冷泉天皇火葬塚。
風葬が一般的でしたが、天皇や高貴な身分の方々は火葬だったとか。
風葬が一般的でしたが、天皇や高貴な身分の方々は火葬だったとか。
さらに北上すると佛教大学。
そして、御土居のある鷹峯に。
このあたりの町名が『蓮台野町』にあたり、そこからもかつてこのあたりが葬送地であったことが伺えます。
ちょっと怖い名前の由来を持つ『千本通』。そんな視点で通りを歩くと、かつてのこのあたりの様子を感じられたり。
ちょっと怖い名前の由来を持つ『千本通』。そんな視点で通りを歩くと、かつてのこのあたりの様子を感じられたり。
ツイート
#ブラタモリ
— hikari (@hikari705) July 13, 2019
船岡山が風葬の地だったと初めて知りました!
紫野、蓮台野に囲まれた地ですし…なるほど。
京都で《〇〇野》は風葬の地。
平安時代以来の鳥辺野(清水寺付近)は一番有名。六道珍皇寺がその境目と。
京都のお盆、送り火など現代に続く風習があるのはすごいw