【京都ぶらり】明治時代につくられた水路『琵琶湖疏水』哲学の道経由で北上する疏水分線をたどる【後編】

今回は明治時代に整備され、水運、電力など近代産業の発展に寄与した水路『琵琶湖疏水』。中でも、哲学の道を経由して北上する「疏水分線」をたどりました。その後編。

目次

松ヶ崎浄水場から暗渠を経て堀川へ

前編はこちら。
https://kyotopi.jp/articles/BcwnO

松ヶ崎浄水場前の疏水はさらに西へ向かって続きます。水路幅はかなり狭く水量も少なめではありますが。

途中に架かる橋に「疏水分線」と書かれていて、ここが疏水であることは間違いナシ。

途中、下鴨本通りを横切り、さらに西南へ。橋に「疏水」とあります。

ところどころ暗渠になりつつ、その延長線上、北大路通りに。さらに西南へ。

かつては露出してたんですかね。暗渠になってますが、住宅街に不自然な中央分離帯。

さらにこの先を進むと

賀茂川へ。もはやここで終了か、と河岸をチェック。

すると、高野川の時と同じように手前に四角い口を開けた水道が。

さらに対岸には水が流れ込む同じ仕様の水道。

また暗渠になり、その延長上には紫明通り。そして、またもや緑化した広い中央分離帯。小路があります。

すると、いきなりかなりの水量の噴水口。水路に勢いよく流れます。疏水の復活。

この水路がしばらく中央分離帯に続くわけですが、途中公園になっていて、噴水に活用されていたり。

さらにその先に水路が続き、緩やかに蛇行しながら水が流れています。

ちょうど、堀川紫明にある公園。水路はありませんが、このモニュメントから少し水が吹き出し、さらに地下から水の流れる音が共鳴。

堀川通り。また広い中央分離帯が出現。

で、よくよくみると水路があります。疏水です。この水は、最終的に堀川に合流します。

よく堀川通を行き来していますが、中央分離帯上に疏水があるとは驚き。現在はいったん鴨川で流れは中断されていますが、かつてはかなりの道のりを経て琵琶湖の湖水がここまで流れていたそうです。

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