五山送り火「妙法」
8月16日、「妙法」の送り火の後で「題目踊り」を見に行きました。
「妙法」は、8時5分に合図とともに一斉に点火され、約20分後に一斉に消火されます。これは、火の始末を終えた後、山を下って「題目踊り」に参加するためだそうです。送り火も、題目踊りも、同じ檀家さんの団体「立正会」が担っています。
題目踊り
「妙法」が消えた後、麓にある涌泉寺に向います。「妙法」が描かれたお揃いの浴衣を着た踊り手の方の姿も。
「妙法」が消えた後、麓にある涌泉寺に向います。「妙法」が描かれたお揃いの浴衣を着た踊り手の方の姿も。
涌泉寺に到着。人が続々と詰めかけています。「南無阿弥陀仏」の石碑も見えます。
やがて送り火の役目を終えた人たちが山を降りてきました。
慌ただしく揃いの浴衣に着替えます。
慌ただしく揃いの浴衣に着替えます。
妙の字の麓で読経を行っていた住職も戻ってきました。
本堂前の東側に男性、西側に女性がそれぞれ10人程が並び、太鼓に合わせて「南無妙法蓮華経」と独特の節回しで題目を唱えはじめます。
踊り手の男女は輪になって、反時計回りに周ります。手に持った扇子の表と裏を交互に膝に当てながら、体を前後に屈伸しながらゆっくり踊ります。女性はずっと前屈みのままで踊っていました。途中からは太鼓がなくなり、お題目だけで踊りが続きます。
約20分で「題目踊り」は終了。太鼓が片付けられ、櫓が設置されます。
約20分で「題目踊り」は終了。太鼓が片付けられ、櫓が設置されます。
さし踊り
櫓の中には8人の音頭取りが入り、「さし踊り」の唄を歌い始めます。
踊り手は櫓を中心に輪になって、今度は時計回りに踊ります。手拍子と踊り手数人が持つ拍子木を鳴らしながら、音頭取りの唄だけで踊りは進みます。
途中から人の輪が二重になり、見学している一般の方も一緒に混ざって踊ることが出来ます。22時を過ぎた頃終了になりました。
「妙法送り火」と「題目踊り」
松ヶ崎の地には平安時代から続く歓喜寺というお寺がありました。もともと天台宗に属していましたが、後に日蓮の弟子日像の布教により村人全員が日蓮宗に改宗しました。1307(徳治2)年7月16日、村の人達が感謝の気持ちを現すため太鼓を打ち、「南無妙法蓮華経」と唱えながら踊ったことが「題目踊り」の始まりで、日本最古の盆踊りとも云われています。
送り火の「妙」の字は日像上人が書いたと伝わります。また、「法」の字は、それより時代が下った江戸時代に日良上人が書いたと伝えられています。「妙法」が当時の書き方とは逆の左から右の並びになったのは、「妙」の書かれた西山の左側に山が無く、右側の東山に「法」を描いたためです。
送り火の「妙」の字は日像上人が書いたと伝わります。また、「法」の字は、それより時代が下った江戸時代に日良上人が書いたと伝えられています。「妙法」が当時の書き方とは逆の左から右の並びになったのは、「妙」の書かれた西山の左側に山が無く、右側の東山に「法」を描いたためです。
提灯の「像師御報恩」は、日像上人への報恩を現しています。
江戸時代初期には、後水尾天皇が妻である東福門院を伴い見物に行幸されたそうで、題目踊りの提灯には「後水尾天皇」の文字も入っています。
その後、歓喜寺は、妙泉寺と名を改め、1918(大正7)年に本涌寺と合併、元のお寺の名を一字づつとって現在の寺名となりました。
唄も踊りもとっても素朴な感じの踊りです。一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
唄も踊りもとっても素朴な感じの踊りです。一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
基本情報
名称:涌泉寺
住所:〒606-0945 京都府京都市左京区松ヶ崎掘町53
電話番号:075-722-1810
URL:http://www.yusenji.com/
題目踊り:毎年8月15日20時〜、16日21時〜
住所:〒606-0945 京都府京都市左京区松ヶ崎掘町53
電話番号:075-722-1810
URL:http://www.yusenji.com/
題目踊り:毎年8月15日20時〜、16日21時〜