静かな住宅街にある穴場的日蓮宗寺院
山門には古びた立派な扁額があり、『示現山』と右から左に書かれ、こちらの山号にあたります。
天慶3年(940年)、菅原道真の乳母・多治比文子(たじひのあやこ)が、道真の遺言により、北野朝日寺(現、東向観音寺)の僧最鎮を開祖とし、西ノ京に道真を追悼する一堂を建立。そして道真自作の天満大自在天像を安置。当時は真言宗寺院で、「菅原道真公の霊の示現」から「示現山」と名付けられました。
天慶3年(940年)、菅原道真の乳母・多治比文子(たじひのあやこ)が、道真の遺言により、北野朝日寺(現、東向観音寺)の僧最鎮を開祖とし、西ノ京に道真を追悼する一堂を建立。そして道真自作の天満大自在天像を安置。当時は真言宗寺院で、「菅原道真公の霊の示現」から「示現山」と名付けられました。
境内入ってすぐの北側。石造りの鳥居があり、こちらがその天満宮にあたりますが。
青銅の趣きある屋根の御社だったんでしょうかね。残念なことに倒壊しています。
水は出ていませんでしたが手水舎があり、こんな手汲みの滑車が付いていて、その古さを物語っています。
この奥にも閉じられていましたが、「閼伽井(あかい)」と書かれた古井戸がありました。
それ以前この界隈には平安時代創建の大寺院・法勝寺があり、康永元年(1342年)の火災後、荒廃地。そこへ元禄10年(1697年)、日蓮宗に改宗し、現在地に移転。境内の建物は当時のもので、わずかに法勝寺時代の痕跡を残す井戸や石碑も混在。
この井戸もその一つ。かつて後白河法皇の側近で法勝寺執行であった俊寛僧都(しゅんかんそうず)が荒行用に使用されていた井戸。
この奥にも閉じられていましたが、「閼伽井(あかい)」と書かれた古井戸がありました。
それ以前この界隈には平安時代創建の大寺院・法勝寺があり、康永元年(1342年)の火災後、荒廃地。そこへ元禄10年(1697年)、日蓮宗に改宗し、現在地に移転。境内の建物は当時のもので、わずかに法勝寺時代の痕跡を残す井戸や石碑も混在。
この井戸もその一つ。かつて後白河法皇の側近で法勝寺執行であった俊寛僧都(しゅんかんそうず)が荒行用に使用されていた井戸。
庫裡前には「俊寛僧都故居之碑」と書かれた大きな石碑。俊寛僧都の住居跡であったことを示します。
安元3年(1177年)、藤原成親(ふじわらのなりつね)・西光らの平氏打倒の陰謀に加わり、流罪となって生涯を終えた人物。
安元3年(1177年)、藤原成親(ふじわらのなりつね)・西光らの平氏打倒の陰謀に加わり、流罪となって生涯を終えた人物。
本堂。日蓮宗らしい伽藍建築様式。瓦屋根の意匠や外観に、少しエキゾチックなテイストも感じます。
本堂には本尊・釈迦如来像を安置。この日は本堂を公開していない様子で、見ることは叶わなかったのですが。
山門の扁額もそうですが、この本堂1階、2階にそれぞれ掲げられた扁額が、この建物の風格を際立たせていました。
菅原道真、法勝寺の遺構、そして江戸時代の建造物など、それぞれ別の時代のものが数々の歴史を経て境内にミックス状態。これも京都あるあるではありますが、そんな見どころ満載の静かなお寺です。
菅原道真、法勝寺の遺構、そして江戸時代の建造物など、それぞれ別の時代のものが数々の歴史を経て境内にミックス状態。これも京都あるあるではありますが、そんな見どころ満載の静かなお寺です。
満願寺へのツイート
満願寺 🌸🌸 岡崎。
— ごんすけいっぱい (@gonsukeippai) April 16, 2019
平安神宮前の道を東に行った所にありました。 pic.twitter.com/cXEEK1z0Zy
詳細情報
名称:満願寺
住所:京都市左京区岡崎法勝寺町130
電話番号:075-771-4874
住所:京都市左京区岡崎法勝寺町130
電話番号:075-771-4874
白塀から、古い趣きあるお寺の瓦屋根が印象的でいつも気になっていました。今回初訪問。