ついに完成!
こちらは昨年の様子。まだまだ整備の途中段階でしたが。
じつは、室町時代、この界隈には浄土真宗の中興の祖・蓮如上人によって建立された山科本願寺があり、寺の周囲は土塁で固められ、さながら『仏国』とも呼ばれた要塞があったと言われています。巨大な要塞は、1532年法華宗や延暦寺、六角氏に攻められ焼失(山科本願寺の戦い)。その後、本願寺は蓮如上人が造営していた大阪・石山坊舎(現在の大阪城)に移転。それでも、このあたりに今も残る土塁跡から、当時の様子が偲ばれます。
じつは、室町時代、この界隈には浄土真宗の中興の祖・蓮如上人によって建立された山科本願寺があり、寺の周囲は土塁で固められ、さながら『仏国』とも呼ばれた要塞があったと言われています。巨大な要塞は、1532年法華宗や延暦寺、六角氏に攻められ焼失(山科本願寺の戦い)。その後、本願寺は蓮如上人が造営していた大阪・石山坊舎(現在の大阪城)に移転。それでも、このあたりに今も残る土塁跡から、当時の様子が偲ばれます。
そんな中世の繁栄の痕跡を保存した『史跡山科本願寺公園』がこのほど完成。どうでしょう。俯瞰した様子は以前とそれほど大きな違いはないように思えますが(笑)
史跡の詳細を記した案内板があります。
公園には発掘調査で見つかった主要堂舎内の風呂跡がわかるよう広場を整備し、土塁跡もあります。園内は御影堂や阿弥陀堂があった「御本寺」跡の西北部にあたります。
公園には発掘調査で見つかった主要堂舎内の風呂跡がわかるよう広場を整備し、土塁跡もあります。園内は御影堂や阿弥陀堂があった「御本寺」跡の西北部にあたります。
風呂跡では石組みや建物の柱穴を示す石柱を並べ、当時の様子を再現。イメージとしては八瀬かまぶろのような。
このように色分けされ、さらに石柱を建て、当時ここに柱が存在したことを示しています。
公園の中央あたりには井戸屋建物と井戸が。
ここが蒸し風呂。この時代のお風呂といえば、八瀬かまぶろと同じく、今でいうサウナ風呂が一般的だったんですね。わりと小さい印象です。
公園の一番西側に帯状に伸びるスペース。ここが土塁跡。
それをたどると南側に今も土塁が残っています。
その側面を見ると、土塁らしい土盛りがされていたんだな、とわかるような痕跡。
さらに公園の北側、公園を出て通りを挟んだ塀の向こうには今も土塁跡が存在し、かつてこれがつながっていたことがわかります。
史跡重視で整備された印象の強い公園。史跡ファン必見ですね。
詳細情報
名称:史跡山科本願寺跡公園
場所:京都市山科区西野山階町30
場所:京都市山科区西野山階町30
以前訪ねたことのある史跡が公園として保存され、それが完成したとのことで再訪。