羅城門・朱雀大路を挟んで東に東寺、西に西寺
九条通り。以前にもご紹介したことのある平安京の玄関口である羅城門。その跡地にある公園。
ちょうど公園の中央に石碑が。羅城門遺阯と書かれています。滑り台やシーソーがある中、ちょっとミスマッチな印象もしますが(笑)
こういうのも京都あるあるかもしれません。
こういうのも京都あるあるかもしれません。
794年(延暦13)に建設した平安京の正門。東西4.5キロ、南北5.3キロの京域中央部の南端に羅城門がそびえ、北には朱雀門が相対。門は正面33メートル、奥行8メートル。二重閣瓦屋根造で棟両端に金色の鴟尾があったそうな。そして、その門下を南北に走る朱雀大路。
ここをモデルにした、能・小説・映画「羅生門」はあまりにも有名。
ここをモデルにした、能・小説・映画「羅生門」はあまりにも有名。
九条通り、東側にはご存じ世界遺産の東寺(教王護国寺)。五重塔が目印。そして、かつてその東寺と対をなした西寺があり、その史跡はないかと探してみることに。
西寺という名称どおり、九条通り西方面にあることは容易に想像できますが。
西寺という名称どおり、九条通り西方面にあることは容易に想像できますが。
少し九条通りを上がり、唐橋小学校の北側、住宅街にある広大な「唐橋西寺公園」。
公園の中央に緑化した小高い小さな丘が。
公園の中央に緑化した小高い小さな丘が。
このあたり一帯がかつての西寺の跡地になっていて、その一部がこちらの公園に。
嵯峨天皇の時の弘仁14年(823年)、羅城門・朱雀大路を挟み東の左京・東寺は空海、西の右京・西寺は守敏に下賜されたと伝わる。その後、西寺では講堂や薬師寺から移築された僧綱所など整備され、正暦元年(990年)に火災に遭い、ほどなく再建。さらに荒廃がすすみ、天福元年(1233年)に再び火災に見舞われ、以降廃寺に。
1959年(昭和34年)からの発掘調査により、金堂・廻廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が確認され、ここからも遺品が出土。
嵯峨天皇の時の弘仁14年(823年)、羅城門・朱雀大路を挟み東の左京・東寺は空海、西の右京・西寺は守敏に下賜されたと伝わる。その後、西寺では講堂や薬師寺から移築された僧綱所など整備され、正暦元年(990年)に火災に遭い、ほどなく再建。さらに荒廃がすすみ、天福元年(1233年)に再び火災に見舞われ、以降廃寺に。
1959年(昭和34年)からの発掘調査により、金堂・廻廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が確認され、ここからも遺品が出土。
土壇を登ると頂に史跡西寺址、とあります。
その周囲を見渡すと、柱の土台となった円形のかなり大きめの柱台石が点在。かつての講堂跡で、その名残。
この日は休日で、ご近所さんらしき方々が公園の清掃活動に励まれていて、にぎやか。東寺と並び広大な敷地を有したであろう西寺を想像する、貴重な遺構でした。
唐橋西寺公園 へのツイート
本日、平安京西寺の現地説明にいきました。西寺公園の土壇が講堂にあたり、東寺と完全対称となることが判明しました。西寺の西限築地塀の犬走りと側溝、西大宮大路路面(石敷き)がきれいに検出されてました。南側からの写真です。 pic.twitter.com/QnHTzX2AZ1
— Takahisa Shinde (@saram_taka) 2018年10月27日
基本情報
名称:唐橋西寺公園
住所:京都市南区唐橋西寺町
住所:京都市南区唐橋西寺町