意外と知らない漱石と京都の関係
御池通。普段よく行き来する場所ですが。
御池大橋西詰。今まで全然気づきませんでしたが、こんな石碑。夏目漱石の句。「春の川を隔てて男女哉」。
夏目漱石は亡くなる前年に京都へ旅行に。その際、最後の恋に落ちたとされる祇園の茶屋「大友」の女将・磯田多佳に送った句がこれ。
木屋町御池の旅館「北大嘉」から、鴨川をへだてた祗園にいる多佳を想って詠んだ句。なんとも近づけそうで近づけない、そんな男と女のもどかしさが伝わってきます。個人的には、こんな色っぽい人ってイメージかなった漱石ですが(笑)
木屋町御池の旅館「北大嘉」から、鴨川をへだてた祗園にいる多佳を想って詠んだ句。なんとも近づけそうで近づけない、そんな男と女のもどかしさが伝わってきます。個人的には、こんな色っぽい人ってイメージかなった漱石ですが(笑)
途中、戦況悪化でお茶屋営業禁止時期もあり
祗園新橋。多佳の祇園のお茶屋「大友(だいとも)」のあった界隈。今も昔も、この界隈は華やかな場所であったことがわかります。
途中、戦況悪化でお茶屋廃業になった時期もあったそうです。
途中、戦況悪化でお茶屋廃業になった時期もあったそうです。
「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」と書かれた吉井勇の歌碑が白川沿いに。そして、漱石と多佳が初めて出会ったお茶屋大友があった場所。
谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文人とも交流のあった文芸芸妓・多佳。もともと漱石のファンだった多佳は意気投合。
谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文人とも交流のあった文芸芸妓・多佳。もともと漱石のファンだった多佳は意気投合。
ご存知花見小路。
多佳の姉は祇園一力亭の女将おさだ。 多佳は6歳で井上八千代に入門。祇園の中でも最も格式の高い、由緒のある「お茶屋」。最近では外国人観光客が芸舞妓の出待ち撮影で夜は人気スポット。
晴れたら、一緒に梅を見に北野天満宮へ行く約束をした漱石と多佳。
ちょっとした行き違いからそれは叶わず。漱石が過ごした最後の京都の29日間。帰京後多佳に送った手紙は、文豪らしからぬ、いや生き生きとした男・漱石を感じ取れる文面だったんだとか。
これを機会に、そんな人間臭い漱石に触れてみるのも面白いかもしれませんね(笑)
ヨ~イヤサ~♪
これを機会に、そんな人間臭い漱石に触れてみるのも面白いかもしれませんね(笑)
ヨ~イヤサ~♪
口コミ
夏目漱石イヤー。番組もたくさんで楽しめる。トヨエツの漱石もそっくりでよかった。
— Tani Toshiko (@TaniToshiko) 2016年12月10日
これは漱石と京都祇園の女性との恋物語。
東京が京都に、歴史の重みでは決して追いつけないという劣等感のドラマでもある。
豊川悦司、宮沢りえ、~漱石悶々~ https://t.co/THGpdLXY1w