大原にひっすりたたずむ天皇皇后御陵
そんな寂光院の東側にお寺とは区分けされた敷地があり、まっすぐ伸びる石段があります。ここは宮内庁管轄の建礼門院の墓所『高倉天皇皇后徳子 大原西陵 』になります。
個人的に天皇陵は数々お参りしましたが、皇后陵はおそらく初めて。というか、同じ敷地内に天皇皇后両陛下の御陵があるのが一般的と思っていましたが、別々になっているんですね。
個人的に天皇陵は数々お参りしましたが、皇后陵はおそらく初めて。というか、同じ敷地内に天皇皇后両陛下の御陵があるのが一般的と思っていましたが、別々になっているんですね。
さらに参道の西隣りには寂光院、東隣には一般住宅ですかね。そんな配置の御陵ももしかしたら珍しいのかな、と思ったり。
途中、散紅葉の時期に移り変わりつつあるグラデーションのカエデの木が鮮やか。ちょうど地域住民の方が落ち葉の清掃をされていました。
そして、登り切った山の傾斜に建てられた高倉天皇皇后徳子の墓所。紅葉で彩られています。仏門に出家していたため、鳥居の中には仏教式の五輪塔があり、御陵としては珍しい形式。
平家物語の中でも悲しい生涯を送った女性として描かれ、今もここ大原には建礼門院にまつわる史跡の多く残ります。紅葉もそろそろ終盤ですが、ゆっくり巡ってみたいですね。
詳細情報
名称:高倉天皇皇后徳子 大原西陵
場所:京都市左京区大原草生町
場所:京都市左京区大原草生町
文治元年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡し、安徳天皇とともに入水するも徳子のみ助けられ、その後出家し寂光院で尼僧として安徳天皇の菩提を弔いながら、余生を送ったと伝わっています。その間、このあたりで食されていた漬物を献上され大変気に入り、『紫葉漬』と命名されたのが、京都三大漬物の一つ『しば漬』の始まりとされ、ここ大原がしば漬発祥地とされています。
この日は紅葉シーズンということで、多くの観光客や登山客でにぎわっていました。