被差別部落の人々が自ら設立した唯一の銀行
かなり年季の入った木造建築。明治40年竣工の建物で、現存する木造の銀行建築としては最古とも言われています。被差別部落の住民により設立された日本で唯一の銀行であり、主に皮革業者を取引先に抱えていた銀行。
明治32年(1899年)に、柳原町(崇仁地域)で町長経験者でもあった明石民蔵らが設立。事業地域も京都市内全域に拡がり、大正9年(1920年)には山城銀行に改称。
その後、昭和2年(1927年)に起こった昭和金融恐慌により、取り付け騒ぎが発生し休業に陥り倒産。
明治32年(1899年)に、柳原町(崇仁地域)で町長経験者でもあった明石民蔵らが設立。事業地域も京都市内全域に拡がり、大正9年(1920年)には山城銀行に改称。
その後、昭和2年(1927年)に起こった昭和金融恐慌により、取り付け騒ぎが発生し休業に陥り倒産。
その後、建物は商店や借家として活用されましたが、昭和61年(1986年)道路の拡幅工事に伴う建物の取壊し案浮上。まちづくりのシンボルとして保存する運動が地域住民の間で盛り上がり、明治期の貴重な洋風木造建築物であることから、平成6年(1994年)京都市登録有形文化財に指定。
平成9年(1997年)、同和問題をはじめとする様々な人権課題への正しい理解と人権意識の普及・高揚を図る啓発施設『柳原銀行記念資料館』として開館。
で、中に入れるかとうかがってみましたが、この日は新型コロナウイルスの影響で閉館。
平成9年(1997年)、同和問題をはじめとする様々な人権課題への正しい理解と人権意識の普及・高揚を図る啓発施設『柳原銀行記念資料館』として開館。
で、中に入れるかとうかがってみましたが、この日は新型コロナウイルスの影響で閉館。
建物の周辺にも史跡らしきものがいろいろと展示。こちらは明治36年(1901年)に塩小路通りが完成するに至った、当時の様子が書かれています。
その当時の高瀬川周辺の建材ですかね。京都の歴史分野の中でも、かなりディープな歴史です。この界隈の現状と照らし合わせて資料見学したいですね。
柳原銀行記念資料館 へのツイート
・旧柳原銀行
— 櫻井 孝 (@Sakurai26330967) February 24, 2020
明治後期に京都の同和地区に建てられた銀行。
柳原銀行は日本で唯一、被差別部落の人々によって設立された銀行でそういった意味でも貴重な建物。
現在は資料館として利用されています。#ファインダー越しの私の世界ᅠ #写真好きな人と繋がりたい #近代建築 pic.twitter.com/gGIDyZXdzi
詳細情報
住所:京都市下京区下之町6-3
電話番号:075-371-8220
開館時間:午前10時~午後4時30分
休館日: 月曜日、火曜日、祝日・振替休日・国民の休日。12月29日~1月3日。展示替えの日。
入館料: 無料
公式サイト:http://suujin.org/yanagihara/
電話番号:075-371-8220
開館時間:午前10時~午後4時30分
休館日: 月曜日、火曜日、祝日・振替休日・国民の休日。12月29日~1月3日。展示替えの日。
入館料: 無料
公式サイト:http://suujin.org/yanagihara/
最近では屋台村「崇仁新町」ができたり、京都芸大の移転予定地だったり。たまたまこの界隈を散策中に通りかかりました。
こちらは、柳原銀行記念資料館。