待ち合わせは土下座像前で!
京阪三条駅、特急も止まり繁華街へのアクセスポイントとしてにぎわう駅ですね。京阪本線以外に地下鉄東西線ものりいれており、太秦から六地蔵、さらには御陵で京津線への乗り換えも可能で滋賀へもつながっており便利な駅というわけで、よく待ち合わせに使われる駅ですよね。
三条エリアでの待ち合わせと言えばココ、通称 土下座像の前ですよね。
こちらの銅像がその土下座像ですが、正式名称は高山彦九郎像で、決して土下座しているのではありません。
こちらの銅像がその土下座像ですが、正式名称は高山彦九郎像で、決して土下座しているのではありません。
地面にひざまずいて深くおじぎをすること。
なので、土下座の定義には、当てはまらないんです。
高山 彦九郎(たかやま ひこくろう)は、江戸時代後期の尊皇思想家であり、吉田松陰をはじめ幕末の志士と呼ばれる人々にも多くの影響を与えたと言われています。
両手をついている姿から土下座像とよく呼ばれていますが、実際には高山彦九郎が京都御所に向かって拝礼をしている姿です。
両手をついている姿から土下座像とよく呼ばれていますが、実際には高山彦九郎が京都御所に向かって拝礼をしている姿です。
その立派な拝礼する姿は、
「大御門(おおみかど)その方(かた)向きて橋の上に頂根(うおね)突きけむ真心たふと」
と橘曙覧(たちばなあけみ)の和歌でも詠まれました。
この高山彦九郎像は1928年に建てられましたが、世界大戦時の1944年に金属回収令により引き渡されました。現在の銅像は2代目で戦後に建てなおされました。
「大御門(おおみかど)その方(かた)向きて橋の上に頂根(うおね)突きけむ真心たふと」
と橘曙覧(たちばなあけみ)の和歌でも詠まれました。
この高山彦九郎像は1928年に建てられましたが、世界大戦時の1944年に金属回収令により引き渡されました。現在の銅像は2代目で戦後に建てなおされました。
これまで何気なく「土下座像」と呼んでいましたが、実はこんな歴史があったんです。
三条大橋を渡ると「いざ出陣(飲みに!)」と思ってしまうのは、ぼくだけでしょうか?笑
今度、三条京阪で待ち合わせする場合は、「土下座像前で」ではなく「高山彦九郎像で」と言ってみてくださいね。
三条大橋を渡ると「いざ出陣(飲みに!)」と思ってしまうのは、ぼくだけでしょうか?笑
今度、三条京阪で待ち合わせする場合は、「土下座像前で」ではなく「高山彦九郎像で」と言ってみてくださいね。
高山彦九郎像 クチコミ情報
高山彦九郎像 基本情報
名称:高山彦九郎像(通称:土下座像)
住所:京都市東山区大橋町 京都府京都市東山区大橋町
住所:京都市東山区大橋町 京都府京都市東山区大橋町