公園の名前にも残る平安京の伝説の武将
山科エリアの桜パトロール中にこちらへ。一見ただの公園ですが。
えらく長ったらしい、含蓄のある名前の公園。『坂ノ上田村麻呂公園』と書かれています。
公園の奥へ進むと広い空間があり、その中央にこちらが。
さらに南側には学校があり、ちょうど公園と学校に挟まれた空間。中央には小円墳状のものがあります。
さらに南側には学校があり、ちょうど公園と学校に挟まれた空間。中央には小円墳状のものがあります。
こちらは、平安時代の初めに桓武天皇の下で蝦夷征討に活躍した武将・公卿の坂上田村麻呂の墓。
征夷大将軍も務め、平安京の守護神的役割を果たした人物。
征夷大将軍も務め、平安京の守護神的役割を果たした人物。
さらに、国内外から多くの観光客が訪れ『清水の舞台』でも知られる観光スポット・清水寺は坂上田村麻呂創建。
そして、将軍としての偉大な功績から、嵯峨天皇の勅命により、死後甲冑・剣や弓矢をつけた状態で棺に入れられ、平安京にむかって立ったまま埋葬。死んでもなお平安京の守護神であれ、との願いも込めて。
なおこの墓地は明治28年平安遷都1100年祭にて整備されたものであり、実際埋葬された場所は西野山古墓であるという説もあるようですが。
今の京都の安寧も、古の将軍がここからいつも見守り続けてくれているからかもしれませんね。
なおこの墓地は明治28年平安遷都1100年祭にて整備されたものであり、実際埋葬された場所は西野山古墓であるという説もあるようですが。
今の京都の安寧も、古の将軍がここからいつも見守り続けてくれているからかもしれませんね。
坂上田村麻呂の墓 へのツイート
【坂上田村麻呂墓】京都市山科区にある。「坂ノ上田村麻呂公園」として整備されている。坂上田村麻呂は弘仁2(811)年5月23日に平安京粟田口の別宅にて薨去。享年54歳。当地から約1.5km北西にある西野山古墓が坂上田村麻呂の本当の墓であると推定されている。#京都市 pic.twitter.com/pkHrFJZw1X
— 古代史つれづれ話 (@azumanndonannto) 2019年2月20日