かつて存在した幻の沼池『巨椋池』に浮かぶ城
宇治市槇島。住宅が密集するエリア。
そんな住宅街の中にある、比較的小規模の公園『薗場児童遊園』。
その公園の敷地の隅にある、石標と駒札。
室町時代から安土桃山時代にかけて、この場所には槇島城があったと記されています。
かつてこの界隈には『巨椋池』という巨大な池沼が存在し、そこに浮かぶ島『槇島』がありました。他、地名に『島』がつく、伏見区の『向島』や『中書島』も同様に巨椋池に浮かぶ島でした。
かつてこの界隈には『巨椋池』という巨大な池沼が存在し、そこに浮かぶ島『槇島』がありました。他、地名に『島』がつく、伏見区の『向島』や『中書島』も同様に巨椋池に浮かぶ島でした。
当時この地には豪族・真木島氏(槇島氏、槇嶋氏、真木嶋氏、牧島氏など様々な表記あり)が城郭を築き、それがこの公園付近にあった槇島城。
元亀4年(1573年)、室町幕府15代将軍足利義昭は織田信長に対して兵を挙げ、幕府奉公衆であった真木島昭光を頼り、槇島城へ籠城。信長はすぐさま入洛し、槇島城を包囲。城は放火され、義昭は嫡男の義尋を人質として差し出して降伏。これが世にいう『槇島城の戦い』で、これを機に事実上足利幕府は終焉を迎えました。
さらにその場所から北へ上がった、槇島公園には槇島城記念碑もあります。
槇島の戦いの後、城は信長・秀吉により管理されましたが、文禄3年(1594年)ごろに廃城。さらに、このあたりは秀吉による堤の築造や宇治川改修により、当時の景観の名残りがあまりなく、存在そのものが忘れ去られようとしているため、この記念碑が建てられたんだとか。
現在放映中のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも、ストーリーは槇島城の戦いへと進行中。そんな時代の流れを汲みながら訪れたい場所ですね。
槇島の戦いの後、城は信長・秀吉により管理されましたが、文禄3年(1594年)ごろに廃城。さらに、このあたりは秀吉による堤の築造や宇治川改修により、当時の景観の名残りがあまりなく、存在そのものが忘れ去られようとしているため、この記念碑が建てられたんだとか。
現在放映中のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも、ストーリーは槇島城の戦いへと進行中。そんな時代の流れを汲みながら訪れたい場所ですね。
基本情報
名称:槇島城跡
場所:京都府宇治市槇島町29−92
場所:京都府宇治市槇島町29−92