かつては井戸もあった菅原道真ゆかりの史跡
中京区西ノ京、北野神社御旅所にもほど近い、天神御旅商店街。
住宅が立ち並ぶ通り沿いをふと見ると、不思議な空き地を発見。両隣は住宅になっていて、くぼ地のような。
中には入らないよう三角コーンが立ててあり、鎖も張られています。
ですが、その内側にかなり古そうな『愛宕山』と書かれた石碑、その上には木製の灯篭らしきものが乗っかっています。愛宕山参拝の方のための道標のようです。
ですが、その内側にかなり古そうな『愛宕山』と書かれた石碑、その上には木製の灯篭らしきものが乗っかっています。愛宕山参拝の方のための道標のようです。
さらにその脇には、これまた古そうな石碑。『北野天満宮七保ノ内新長谷寺古跡(?)』と書かれています。
じつはこちら、学問の神様として知られる菅原道真公が太宰府へ左遷された後、現地で無念の死を遂げたことを悼み、随従の人々が帰京して、右京の地に建てたと言われている七ケ所(北野七保)の御供所。その中の4番目にあたる、四之保社跡。
元文5年(1740)には廃社に。
じつはこちら、学問の神様として知られる菅原道真公が太宰府へ左遷された後、現地で無念の死を遂げたことを悼み、随従の人々が帰京して、右京の地に建てたと言われている七ケ所(北野七保)の御供所。その中の4番目にあたる、四之保社跡。
元文5年(1740)には廃社に。
さらに奥には駒札と四角く囲われた玉砂利。
この場所にはかつて『威徳水』と呼ばれた井戸があり、病気平癒の御利益がある水として信仰を集めていましたが、2017~18年頃埋め立てられ、今のような姿に。かつては昔の井戸端風情の残る場所だったようですが、今ではこの石碑や駒札だけが、その歴史を伝えています。
この界隈には他にも菅原道真ゆかりの史跡が残り、道真の不遇の死を悼むとともに、その怨霊がいかに恐れられていたかがうかがえる史跡。住宅街にある、ちょっと不思議な景観の史跡です。
この界隈には他にも菅原道真ゆかりの史跡が残り、道真の不遇の死を悼むとともに、その怨霊がいかに恐れられていたかがうかがえる史跡。住宅街にある、ちょっと不思議な景観の史跡です。
基本情報
名称:四之保社跡 威徳水
場所:京都市中京区西ノ京中保町
場所:京都市中京区西ノ京中保町