かつて存在した幻の巨大池『巨椋池』の名残り
水の豊かな場所で、水路や川が集中し、さらにその先には一級河川淀川(宇治川)。そして、さらに対岸には京都競馬場もあり、見晴らしのいい場所でもあり。
そんな、水路や川と淀川をつなぐ場所に立地する『巨椋池排水機場』。昭和7~9年に築造され、巨椋池の干拓事業や、地域の農業排水や洪水の被害防止に重要な役割を果たしてきた施設。
かつて、京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがる界隈には琵琶湖を水源とする『巨椋池(おぐらいけ)』が存在し、その規模は池というより湖と言うにふさわしいほどの大きさを誇っていました。
明治時代には、大雨による水害防止のため、淀川と巨椋池を切り離す10年にも及ぶ大工事がなされました。しかしその結果、水害は減るも、生活排水流入による水質悪化でボウフラが大量発生。それに伴いマラリアが流行。
かつて、京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがる界隈には琵琶湖を水源とする『巨椋池(おぐらいけ)』が存在し、その規模は池というより湖と言うにふさわしいほどの大きさを誇っていました。
明治時代には、大雨による水害防止のため、淀川と巨椋池を切り離す10年にも及ぶ大工事がなされました。しかしその結果、水害は減るも、生活排水流入による水質悪化でボウフラが大量発生。それに伴いマラリアが流行。
生活環境の悪化を改善すべく始まったのが、巨椋池の干拓事業。8年にも渡る大工事。その際この排水機場のポンプで巨椋池の水を淀川に汲み出し、機能したのがこの施設。
かつてこの辺りは漁業の盛んな場所でしたが、干拓後の土地は農地として活用。
かつてこの辺りは漁業の盛んな場所でしたが、干拓後の土地は農地として活用。
その施設横には公園があり、当時使用されていた排水ポンプが公園に展示されています。
『巨椋池まるごと格納庫』という展示施設もあり、現在はコロナ禍で休止中のようですが、平日のみ見学も可能。
『巨椋池まるごと格納庫』という展示施設もあり、現在はコロナ禍で休止中のようですが、平日のみ見学も可能。
樋門ですかね。普段見慣れないような、特殊な建物や治水施設もあり。
この水路の上流にある旧山田住宅。この時はまだ開館時間前で見学できませんでした。
江戸時代、巨椋池の漁業権を独占し、池に浮かぶ高台の村落・東一口の13ヵ村をまとめ、総帥的存在だった大庄屋。建物の風情からもその名残りを感じられます。
かつて存在した巨大池は、干拓や治水でその姿を消し、さらに人々の暮らしや産業にも影響。そんな移り変わりの歴史を垣間見れる、興味深い場所でもあり。
かつて存在した巨大池は、干拓や治水でその姿を消し、さらに人々の暮らしや産業にも影響。そんな移り変わりの歴史を垣間見れる、興味深い場所でもあり。
詳細情報
名称:巨椋池排水機場公園
場所:京都府京都市伏見区向島又兵衛
場所:京都府京都市伏見区向島又兵衛
そして、よく京都の難読地名として登場する『東一口(ひがしいもあらい)』地区。