日本の煎茶製法はここから始まった!緑茶発祥地の茶祖生家
京都府綴喜郡宇治田原町。『お茶の京都』が誇る、知る人ぞ知る日本の緑茶発祥地。
そして、緑茶誕生から800年の歴史を持ち、日本遺産にも指定されているエリア。
宇治茶というと、宇治市がその原料原産地かと思われがちですが、実際にはこの宇治田原町やその周辺が主な産地だったり。
そして、緑茶誕生から800年の歴史を持ち、日本遺産にも指定されているエリア。
宇治茶というと、宇治市がその原料原産地かと思われがちですが、実際にはこの宇治田原町やその周辺が主な産地だったり。
そんな宇治田原町にある湯屋谷(やんたん)という、古い町並みを残す集落。その山手に続く道を行くと、日本緑茶の祖『永谷宗円生家』があります。
永谷宗円は元文3年(1738年)に青製煎茶製法を開発し、現代の煎茶の製法の礎を築いたことで「日本緑茶の祖」と称されています。それ以前の緑茶というと抹茶が主流で、主に身分の高い層に嗜まれるものでした。それが、この青製煎茶製法の開発により、煎茶として緑茶が庶民にも親しまれるようになりました。
永谷宗円は元文3年(1738年)に青製煎茶製法を開発し、現代の煎茶の製法の礎を築いたことで「日本緑茶の祖」と称されています。それ以前の緑茶というと抹茶が主流で、主に身分の高い層に嗜まれるものでした。それが、この青製煎茶製法の開発により、煎茶として緑茶が庶民にも親しまれるようになりました。
こちらは、昭和35年に再建された歴史的建物ですが、その緑茶文化の歴史を今に伝える施設になっていて、この集落在住のボランティアの方が土日祝日限定で展示案内をされています。
引き戸を開けると、まず土間が広がり、靴を脱いで上がる囲炉裏スペースに歴史史料が展示。その脇に、かつて製茶に使われ炭火が熱源だったという貴重な焙炉(ほいろ)跡が。
こちらは協力金として、まず200円を納めます。
その中央にある映像資料を通じ、宗円の生涯や青製煎茶製法の発展について学べるよう整備されています。ちょっと驚きなのが、お茶漬け海苔で知られる『永谷園』は永谷宗円の御子孫が京都から東京へ移り創業した会社で、祖業はお茶の製造販売だったという事実。
冒頭で登場する俳句に、手もみ製法の真理が集約されているというか。
冒頭で登場する俳句に、手もみ製法の真理が集約されているというか。
展示紹介の傍ら、宇治田原自慢の煎茶を丁寧に淹れていただき、美味しく味わいました。
近代では煎茶の製茶も機械化されていますが、その原理はほぼ昔と同じで製造工程も変わらず。開発当初から、如何に青製煎茶製法の技術の完成度が高かったか、ということがわかります。
宗円はその技術を惜しみなく日本中の製茶業者に伝達、研修し、その研修場としてこの辺り一帯が機能していたそうです。
そういった日本茶の一大変革期の起源が、ここ宇治田原だったということを意外と知らない地元民も多数。
宗円はその技術を惜しみなく日本中の製茶業者に伝達、研修し、その研修場としてこの辺り一帯が機能していたそうです。
そういった日本茶の一大変革期の起源が、ここ宇治田原だったということを意外と知らない地元民も多数。
さらに、その敷地奥にはひっそりと永谷宗円を祀る神社『茶宗明神社(ちゃそうみょうじんしゃ)』。
昭和29年(1954年)、永谷宗円の功績をたたえて、集落の氏神であった大神宮社に合祀されたことを起源とする神社で、茶業にかかわる方も毎年多数参拝に来られるとか。
日々、緑茶を愛飲している方は、ぜひ足を運んでみてください!
昭和29年(1954年)、永谷宗円の功績をたたえて、集落の氏神であった大神宮社に合祀されたことを起源とする神社で、茶業にかかわる方も毎年多数参拝に来られるとか。
日々、緑茶を愛飲している方は、ぜひ足を運んでみてください!
詳細情報
名称:永谷宗円生家
場所: 京都府綴喜郡宇治田原町大字湯屋谷 小字空広
電話:0774ー88ー6638
開館日時:土日祝日のみ10:00~15:00
場所: 京都府綴喜郡宇治田原町大字湯屋谷 小字空広
電話:0774ー88ー6638
開館日時:土日祝日のみ10:00~15:00