若狭街道の入り口で安全を見守る鞍馬口地蔵
で、もともとのお寺が今も残っています。グーグルマップで検索すると、千本今出川のこちらのお寺がヒットして最初迷いましたが(汗)
境内には本堂あり、防火の地蔵や墓地も。
境内には本堂あり、防火の地蔵や墓地も。
もとい、現在の鞍馬口の上善寺。
文明年間(1469~87)に、春谷盛信(しゅんこくせいしん)によって再興。後柏原天皇の勅願寺として栄え、文禄3年(1594)、寺域を現在の地に移し、浄土宗に改宗。
文明年間(1469~87)に、春谷盛信(しゅんこくせいしん)によって再興。後柏原天皇の勅願寺として栄え、文禄3年(1594)、寺域を現在の地に移し、浄土宗に改宗。
境内。冬場ということで閑散としてましたが、こちらも夏の六地蔵めぐりの頃には多くの参拝客でにぎわうそうです。
寛永11年(1634)後水尾天皇の勅により、嵯峨「蓮華清浄寺」のご本尊であった阿弥陀仏像をこちらに遷す。行基の作と伝えられています。
こちら六角形の地蔵堂。
安置している地蔵菩薩像は、平安時代初めに、小野篁(おののたかむら)が、一本の桜の木から六体の地蔵を彫りだしたという伝説の一体。
その後、後白河天皇の勅命で平清盛が疫病退散のため保元年間(1156~1159年)に西光に命じて街道口6カ所にそれぞれ六角堂を建て、六体の地蔵菩薩像を一体ずつ分置。ここ上善寺は若狭街道口にあたる。
安置している地蔵菩薩像は、平安時代初めに、小野篁(おののたかむら)が、一本の桜の木から六体の地蔵を彫りだしたという伝説の一体。
その後、後白河天皇の勅命で平清盛が疫病退散のため保元年間(1156~1159年)に西光に命じて街道口6カ所にそれぞれ六角堂を建て、六体の地蔵菩薩像を一体ずつ分置。ここ上善寺は若狭街道口にあたる。
この六角堂自体は改修されたのか、わりと新しい造りですね。
現在は「鞍馬口地蔵」の名で親しまれていますが、保元年間(1156~59)に深泥池畔に祀られていたものをこちらに遷した経緯から「深泥池地蔵」とも呼ばれています。
現在は「鞍馬口地蔵」の名で親しまれていますが、保元年間(1156~59)に深泥池畔に祀られていたものをこちらに遷した経緯から「深泥池地蔵」とも呼ばれています。
今出川家御歴代をはじめ公家の墓所が数多く残るほか、幕末の禁門の変で亡くなった入江九一他の「長州人首塚」もあり。
境内をよくよく観察すると、おそらくかつて基礎部分となった石が残っているので、他にも建物があったような気配。
ひっそりと静かな佇まいのお寺でした。
ひっそりと静かな佇まいのお寺でした。
上善寺 へのツイート
8/22-23と六地蔵廻りいってきた。お幡が6枚そろいました。6体ともお化粧をしたお地蔵尊。特に上善寺の地蔵菩薩がなんともお美しい。 pic.twitter.com/t65NI4s6MV
— いそせん (@isosense) 2018年8月26日
詳細情報
住所:京都市北区鞍馬口通寺町東入上善寺門前町338
電話番号:075-231-1619
拝観時間:9:00~16:00
拝観料:無料
電話番号:075-231-1619
拝観時間:9:00~16:00
拝観料:無料
もともとは貞観5年(863)に、僧円仁により天台密教の道場として、千本今出川(上京区)に創建。