日本初の鉄筋コンクリート橋
琵琶湖から蹴上インクラインまでのルート。
途中、いくつかの橋やトンネルを通るわけですが、明治時代の建築であるレンガ造りのトンネルや、そのトンネル入り口に掲げられた扁額をめぐるのもまた人気。
途中、いくつかの橋やトンネルを通るわけですが、明治時代の建築であるレンガ造りのトンネルや、そのトンネル入り口に掲げられた扁額をめぐるのもまた人気。
今回はそんな琵琶湖疏水に、日本初の鉄筋コンクリート橋があるというのでやってきました。当然明治時代の歴史的建造物。
草むらに埋まった状態の石碑を発見し、これがその日本初の鉄筋コンクリート橋か、と認識。
橋のすぐ西側には第3トンネルが口を開けて、湖水を飲みこんでいます。
その口の上にある扁額には第4・6代内閣総理大臣だった松方正義作『過雨看松色』と書かれています。時雨がすぎると、一段と鮮やかな松の緑をみることができる、という意味。
その口の上にある扁額には第4・6代内閣総理大臣だった松方正義作『過雨看松色』と書かれています。時雨がすぎると、一段と鮮やかな松の緑をみることができる、という意味。
幅1メート強。明治36年(1903)年につくられた鉄筋コンクリート橋。
当時はこんな手すり部分はなかったそうですが、 現在は転落防止のため、柵が設けられています。
当時はこんな手すり部分はなかったそうですが、 現在は転落防止のため、柵が設けられています。
橋の上から景観を眺めてみます。
橋の東側には、現在新山科浄水場取水池として利用されていますが、日ノ岡船溜(ひのおかふなだまり)がここにあり、疏水を行き交う船の停泊場所に。
奥にはさらに立派な石碑があり、『本邦最初鉄筋混凝土橋』とあります。コンクリートって漢字で書くと『混凝土』なんですね。
当時鉄筋コンクリートとは言っても、鉄筋専用の材料がなかったため、疏水工事で使ったトロッコのレールが代用。緩やかなアーチ型。
裏をのぞき込むと、明治建築とはいえ崩れないよう補強された鉄柵でガードされています。後付だと思いますが。
かつては船着き場の橋として活躍したんでしょうね。今ではひっそりと目立たない存在ですが。
明治時代、都が東京に移り、意気消沈した市民が活気を取り戻すべく京都に広まった一大産業革命。その一端ともなった名橋。散策してみてください!
明治時代、都が東京に移り、意気消沈した市民が活気を取り戻すべく京都に広まった一大産業革命。その一端ともなった名橋。散策してみてください!
琵琶湖疏水第11号橋へのツイート
日ノ岡11号橋(明治36年竣工)
— 明治村くん (@ASA_USA_OSA) August 30, 2019
琵琶湖疎水に架かる日本初の鉄筋コンクリート橋です。手摺りのないシンプルな反り橋であり、疎水の設計を任された田辺朔郎技師が試験的に架けたものと伝わります。橋の北側には本邦初のRC橋を記念する碑が建てられています。 pic.twitter.com/ztM0Nl7HvO
基本情報
名称:第11号橋
住所:京都市山科区日ノ岡堤谷町
住所:京都市山科区日ノ岡堤谷町
最近では琵琶湖疏水通船も開通し、乗船しながら疏水の史跡めぐりも可能になったり。