祇園の喧騒から逃れ八坂神社奥の山手にひっそりとたたずむ墓所
東山区祇園エリア。そのランドマーク的存在でもある八坂神社。日本三大祭りの一つである祇園祭を主催する、京都を代表する神社。
そんな八坂神社から市民憩いの場である円山公園へ。春にはその幽玄な美しさを誇る祇園枝垂桜。すでにすっかり落葉し冬の様相。傍らにはそろそろ散り始めのもみじが赤々と色づき、対照的な風情。
で、意外と円山公園奥山手に向かうと、もみじの木が植わり、景観に秋らしい彩りを添えています。
さらに、公園内にある日本庭園では、造園された小川のせせらぎを飛び石を渡りながら楽しめたり、紅葉を愛でたり。
喧騒の四条界隈を山手に少し向かうだけで、こんなにも自然豊かで静かな場所が広がるとは、案外知らない人も多いことと思います。取り立てて、紅葉名所にわざわざ足を運ばなくても、十分秋を楽しめる空間でもあります。
喧騒の四条界隈を山手に少し向かうだけで、こんなにも自然豊かで静かな場所が広がるとは、案外知らない人も多いことと思います。取り立てて、紅葉名所にわざわざ足を運ばなくても、十分秋を楽しめる空間でもあります。
そんな八坂神社から、南へ延びる石畳。ここでも散りもみじが艶やかな景観をつくっているわけですが。
ちょうど、傾斜のついた参道の横手に合流するわけですが。いつもねねの道からまっすぐ山手へ延びるこの参道を目の当たりにしつつ、今回初訪問「大谷祖廟」。
お盆の法要「東大谷万灯会」では、約1万個の提灯の蝋燭に火が灯され、その幻想的風景が夏の風物詩として伝えらます。
お盆の法要「東大谷万灯会」では、約1万個の提灯の蝋燭に火が灯され、その幻想的風景が夏の風物詩として伝えらます。
総門。
大谷祖廟は、浄土真宗大谷派(東本願寺)の宗祖・親鸞聖人の墓所であり、東本願寺の飛地境内にあたります。
大谷祖廟は、浄土真宗大谷派(東本願寺)の宗祖・親鸞聖人の墓所であり、東本願寺の飛地境内にあたります。
ここでいきなり余談になりますが、総門くぐってすぐの場所にある自販機。見事なまでに東本願寺の水一択で販売されてるわけですが。
そして、東本願寺に名水沸いてたか?と確認してみたところ、東本願寺第12代教如上人ゆかりの岐阜県揖斐川町春日「おじゃれの水」。なにやら霊験ある名水のようです。
こちらは太鼓堂。かつて二階部分の太鼓で時間を知らせていたそうです。
来歴つづきに戻りますが、親鸞聖人が亡くなられてから10年経った文永9年(1272年)、東国の親鸞愛弟子たちの協力で末娘の覚信尼公が廟堂を建立。聖人の御影像を安置したのが本願寺のはじまりで、その後幾多の変遷を経て、現在の東本願寺が聞法の根本道場として、大谷祖廟は聖人の墳墓の地として相続され、現在に至っています。
来歴つづきに戻りますが、親鸞聖人が亡くなられてから10年経った文永9年(1272年)、東国の親鸞愛弟子たちの協力で末娘の覚信尼公が廟堂を建立。聖人の御影像を安置したのが本願寺のはじまりで、その後幾多の変遷を経て、現在の東本願寺が聞法の根本道場として、大谷祖廟は聖人の墳墓の地として相続され、現在に至っています。
わりと高台にあり、垣根の隙間から市内が一望できます。
東山の中腹、傾斜に立地する境内で、途中階段があったりエレベーターもあったり。
本堂は元禄14年(1701年)に本願寺第17世真如上人により建立。ご本尊は阿弥陀如来。中はこの時法要が行われている様子だったので、入室しませんでした。
さらに山手へ続く階段を上ります。すぐわきにはエレベーターも設置されています。
すると、本願寺の装飾を彷彿させる唐門。こちらが親鸞聖人御廟。墓所にあたります。
この南には東大谷墓地が隣接し、こちらへも参拝される方と多数出会い、日本一の信者数を誇る宗派であることが伺えます。
唐門前には仏花がたくさんお供えされ、本堂横にある事務所でも販売され、ちょっと他にはない光景だったり。閑静な場所にある墓所でした。