菅原道真の供養所『北野七保』のうちの三ノ保お堂が
学問の神様で知られる菅原道真の供養所として設けられた『北野七保』のうちの一つがこちらに。
謀反の罪により、朝廷から太宰府への左遷を命じられた菅原道真は、延喜3年(903)わずか2年ほどで無念の死を遂げ、それを悼んだ家臣たちが帰京した後、かつてこのあたりにあった北野の森に七つの御供所を設けたのが『北野七保』。
境内は手入れが行き届いた端正なお庭。
謀反の罪により、朝廷から太宰府への左遷を命じられた菅原道真は、延喜3年(903)わずか2年ほどで無念の死を遂げ、それを悼んだ家臣たちが帰京した後、かつてこのあたりにあった北野の森に七つの御供所を設けたのが『北野七保』。
境内は手入れが行き届いた端正なお庭。
季節の花も咲きほころび、こちらはボケですかね。可愛いピンク色の花を咲かせていました。
境内、東側にかなり古そうな墓石がひしめく様に集められたスペース。何百もの無縁仏だそうです。この中にはキリシタンのお墓もあったり。
お寺についての来歴は不明ですが、乾三十三所 第二十九番札所。ここから南にある通称・だるま寺で知られる法輪寺も同じく乾三十三所札所。
寺門入ってスグの東側。古いお堂があります。こちらはかつてこの辺りにあった長宝寺にあったお堂。
長宝寺は北野七保のうちの三ノ保社で、野見宿袮(菅原道真の祖先)を祀り、御本尊は道真作の梅樹の十一面観世音菩薩。長宝寺は明治2年に廃寺になり、現在はこの成願寺境内にお堂が残るのみ。
長宝寺は北野七保のうちの三ノ保社で、野見宿袮(菅原道真の祖先)を祀り、御本尊は道真作の梅樹の十一面観世音菩薩。長宝寺は明治2年に廃寺になり、現在はこの成願寺境内にお堂が残るのみ。
明治時代の神仏分離や廃仏毀釈により、北野七保の中には現存しないお寺もあり、来歴わからず一部現存する場所も。特にこのあたりには神社仏閣が集中し、かつての名残りをみせていますね。
基本情報
名称:成願寺
場所:〒602-8374 京都府京都市上京区西入3丁目 西町22
電話:075‐462‐2666
場所:〒602-8374 京都府京都市上京区西入3丁目 西町22
電話:075‐462‐2666
この日、菅原道真ゆかりの地を巡ろうとこちらへ。
寺門には、このように柵が設けてありましたが、この右側はオープンスペースになっていて、多くの方が出入りされていました。