土塁めぐらせ仏国『山科本願寺』を築いた蓮如上人の墓所
その御塚道の突き当り。立派な生垣で囲まれた場所。天皇陵かと思うような。わりと広めのスペース。
この場所は室町時代の浄土真宗の中興の祖・蓮如上人の墓所にあたります。
かつて戦国時代、この山科には「寺中広大無辺にして荘厳、さながら仏国の如し」と威容をうたわれた山科本願寺があり、それを築いたのが蓮如上人と言われています。
かつて戦国時代、この山科には「寺中広大無辺にして荘厳、さながら仏国の如し」と威容をうたわれた山科本願寺があり、それを築いたのが蓮如上人と言われています。
© 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
こちらは現在の山科区の航空地図。
かつて山科本願寺は3つの郭(くるわ)で構成され、阿弥陀堂や宗祖親鸞の像を祀る御影堂があった「御本寺」、僧が住んだ「内寺内」、町衆の家が並んだ「外寺内」。そして晩年蓮如上人が過ごした「南殿」。今日までの調査で明らかになっています。
以前紹介した土塁跡は内寺と外寺を隔てたもの。
かつて山科本願寺は3つの郭(くるわ)で構成され、阿弥陀堂や宗祖親鸞の像を祀る御影堂があった「御本寺」、僧が住んだ「内寺内」、町衆の家が並んだ「外寺内」。そして晩年蓮如上人が過ごした「南殿」。今日までの調査で明らかになっています。
以前紹介した土塁跡は内寺と外寺を隔てたもの。
生垣で囲われた奥にさらに進みます。
石碑とともに、墓所門隙間から覗くと、さらに奥には広い鬱蒼としたスペースが広がり、小さな瓦屋根の建物があります。
さらに、この墓所に来るまでの途中にある蓮如上人銅像跡。かつては銅像があったんでしょうか。今では見当たりませんでしたが。なんでも戦時中に金属供出されたそうです。
京都にはいろいろな仏教宗派、宗祖がいる中、墓所を見る限り宗教家としてかなりの権力を有したと思われる蓮如上人。
そんな仏国と謳われる場所がかつてあったとは、山科を見る目が変わりました。
京都にはいろいろな仏教宗派、宗祖がいる中、墓所を見る限り宗教家としてかなりの権力を有したと思われる蓮如上人。
そんな仏国と謳われる場所がかつてあったとは、山科を見る目が変わりました。
基本情報
名称:蓮如上人御廟所
場所:京都市山科区西野大手先町13−5
場所:京都市山科区西野大手先町13−5
以前すぐ近くにある山科中央公園内にある山科本願寺土塁跡についてご紹介しました。その続報でもあり。
ちょうど公園の東側。古い石標があり『蓮如上人御塚道』とあります。