平安時代中期の関東の豪族・平将門の霊を供養する神社
その四条寄りにある、わりと真新しい小さな鳥居。
入り口が鳥居になっていて、京町家と一体化。
そして、駒札をみると『京都神田明神』とあります。
神田明神というと、つい東京の神社を思いうかべてしまいますが、京都にもあります。
神田明神というと、つい東京の神社を思いうかべてしまいますが、京都にもあります。
神田明神は正式名称「神田神社」。東京都千代田区外神田二丁目に鎮座する神社。大己貴命、少彦名命、平将門命の3柱を主祭神とし、天平2年(730年)創建。
その神社の京都版がなぜここにあるのか。
神田明神は平安時代中期の関東の豪族であり、桓武天皇の5世子孫である平将門の霊を供養する神社。
天慶3年(940年)、天慶の乱により戦死した平将門の首は平安京に運ばれ東の市、都大路で晒し首となったが、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨霊の仕業とされたため、平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれ、その場所がここに。
その神社の京都版がなぜここにあるのか。
神田明神は平安時代中期の関東の豪族であり、桓武天皇の5世子孫である平将門の霊を供養する神社。
天慶3年(940年)、天慶の乱により戦死した平将門の首は平安京に運ばれ東の市、都大路で晒し首となったが、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨霊の仕業とされたため、平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれ、その場所がここに。
現在の六波羅蜜寺(西光寺)を活動拠点とした空也上人が、将門の怨霊を鎮めるため、道場の一角に塚を建てて供養したことから空也供養の道場と呼ばれ、空也供養の発音がなまり、細い道を意味する辻子と合わせて、この場所を『膏薬辻子(こうやくのずし)』と呼ぶように。
京都に神田明神があったとは、ちょっと驚きですね。
京都に神田明神があったとは、ちょっと驚きですね。
京都神田明神へのツイート
「神田明神」
— 幣束 (@goshuinchou) February 14, 2019
京都市下京区新釜座町。本日2月14日は新皇を名乗り関東に覇を唱え死後御霊となった平将門公の命日につきこちらをツイート。京都市内のど真ん中に平将門公を祀った小さな神社、その名も神田明神が鎮座する。承平天慶の乱で討ち取られた将門公の首は京に運ばれ、晒されたのがこの場所という pic.twitter.com/CKrjTa9p9V
基本情報
名称:京都 神田明神
住所:京都市下京区新釜座町726
住所:京都市下京区新釜座町726
そして、祇園祭期間は郭巨山の御神所にもなる場所。