2022年10月13日 更新

【京都ツウ】四条河原町高島屋裏のモダン建築神社☆通称“銅閣寺”ゆかり「火除天満宮」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は下京区、京都高島屋百貨店の裏手にひっそりたたずみ、日本画の巨匠・円山応挙や東山祇園にある通称“銅閣寺”ともゆかりある神社。

繁華街・四条河原町高島屋裏にある知る人ぞ知る神社

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下京区、四条寺町通りを下がる。すると、わりと新しめのビルがあり、1階にはコンビニのある場所。そのお隣には京都高島屋百貨店の通用口。そんなスペースに挟まれた場所に石標があり『火除天満宮社』と書かれ、奥に神社があります。京都には数多神社がありますが、こんな繁華街立地でモダンな趣きの神社も珍しいかもしれません。

以前京都画壇・近代日本画の祖である絵師・円山応挙の足跡を調べていた時、かつてこの場所にあった大雲院をアトリエ代わりに使っていた、ということを知りやってきました。
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で、ちょっと京都に詳しい方なら、東山祇園界隈にある通称“銅閣寺”で知られる祇園閣のあるお寺『大雲院』のことでは?と想像されると思います。
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1579年(天正7年)に九州での兵乱を避けるため、筑紫国大宰府から一人の老神官が菅原道真の像を背負って入洛し、六条通周辺に祀ったのがこの『火除天満宮』の始まり。

1587年(天正15年)烏丸二条に大雲院が創建され、その鎮守社として移転。1597年(慶長2年)豊臣秀吉の命により大雲院とともに現在地にさらに移転。円山応挙がアトリエにしていたのは、この時代からさらに後の江戸時代中~後期ということになります。

1864年(元治元年)の蛤御門の変や度重なる大火に見舞われましたが、この辺り一帯だけ奇跡的に類焼をまぬかれたことから、学問成就とともに火除の神として多くの信仰を集め『火除天満宮』と呼ばれるように。

その後、1973年(昭和48年)に大雲院は京都市東山区祇園町南側に移転。この火除天満宮だけがここに残ったということですね。
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参道は狭小スペースを利用し、鳥居もかなりコンパクト。平成4年に建てられたもの。もちろん天神さんの神紋『星梅鉢紋』になっています。
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考えてみると、秀吉の時代からこの場所にあったということなので、かなり古そうな石標も残っていたり。
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手水舎にはこんこんと湧き出る御神水。
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こんな繁華街で豊かな伏流水が潤いを与えています。
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さらにモダンな参道は奥へと続きます。
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その中ほどに授与所もあり、この時はまだ朝早かったので神社の方はおられませんでしたが、お札や御朱印もあるみたいです。
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さらに奥へ進み、直角に曲がって北側に社があり、ここに御祭神・菅原道真公が祀られています。
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その反対側は高島屋の敷地と区別する柵があり、恐らく高島屋が建つ前からこの場所にあった石造の鳥居が建っています。神事の際には柵が開放される様子。傍らには天神さんらしく牛像もあります。

今まで見過ごしがちでしたが、繁華街とうまく共存する形で存在する神社。数々の時代を経てきた様子がうかがえますね。

詳細情報

名称:火除天満宮
場所:京都市下京区貞安前之町613
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