京都ラーメン激戦区『一乗寺』の地名由来となる史跡
そんな一乗寺、白川通を挟んでさらに東へ。すぐ近くには観光名所として知られる詩仙堂や圓光寺もある場所。名刹・曼殊院へと続く通り沿い。
現在では一乗寺集会所、修学院児童館になっていますが、この『一乗寺』の地名の由来になった史跡があります。
わりと古い建物の集会所。
奥の建物は道場として、周辺の子供たちに剣道の練習場として活用されてたり。
そんなスペースの中央に建つ大きな石碑。『一乗寺址』と大きく書かれています。
前からずっと、地名『一乗寺』に『寺』がつくのって、お寺がかつてあったのかな?と薄々思っていましたが、どうやら正解だったようで、かつてここに一乗寺というお寺がありました。
前からずっと、地名『一乗寺』に『寺』がつくのって、お寺がかつてあったのかな?と薄々思っていましたが、どうやら正解だったようで、かつてここに一乗寺というお寺がありました。
平安時代中期、上東門院(一条天皇中宮藤原彰子)により創建された天台宗・園城寺(三井寺)別院の一乗寺がありました。かねてから、山門(延暦寺)と寺門(園城寺)は対立し、平安末期には延暦寺衆徒によって焼き討ちにあい一乗寺は焼失。再建後、南北朝の戦乱によって再び焼失し廃絶。地名だけは現在も残っています。今では一乗寺といえばラーメンしか思い浮かばないほどですが、ちょっと知っておきたい史跡。
一乗寺は意外と東西横長に広がるエリアで、ここからさらに東の白川通を挟み、東山連峰、さらには京都と滋賀の府県境にまで及ぶ。