紅葉も終盤の毘沙門堂
この日は珍客のネコも。
タイミングよく、絶好調であれば、ここも紅葉の落葉が敷き詰められた赤い絨毯敷きに。
そして、こちらはここ毘沙門堂境内の中でも紅葉絶景スポット。タイミングよければ赤いモミジの落葉でつくるレッドカーペットが敷かれた石段になるんですが。もうピークも終了ということですね。
ちなみに、こちらは以前撮った自慢の絶景画像。タイミングですね~
天台宗の寺院。山号は護法山。正式名は護法山安国院出雲寺。最澄自刻の毘沙門天像を本尊とする。
寺伝によれば、毘沙門堂になる前の前身として、大宝3年(703年)文武天皇の勅願により行基が出雲寺を開基。出雲寺は上京区にある相国寺北側、上御霊神社付近にあったといわれ、今でもそのあたりの地名「出雲路」が残っています。
平安時代末期に荒廃し、室町時代応仁の乱で焼失。その後再建されるも再び焼失。江戸時代の慶長年間(17世紀初頭)に徳川家康の側近であった天台宗僧・天海により再建。その際、山科の安朱寺の寺領の一部を出雲寺に与え、現在の地に移転復興。
すっかり散紅葉ですね。
すっかり散紅葉ですね。
後西天皇皇子の公弁法親王(1669年 – 1716年)が受戒、晩年には隠棲の地に。以後、皇族・貴族が住持を務める格式の高い寺院・門跡寺院となり、天台宗京都五門跡の一つ「毘沙門堂門跡」と称されるように。
本堂。
寛文6年(1666)に建立。中は撮影禁止ですが、 向唐破風造の門や、堂の周囲の透塀など、京都の仏堂建築では珍しい造り。本尊に小さめですが毘沙門天像を安置。
寛文6年(1666)に建立。中は撮影禁止ですが、 向唐破風造の門や、堂の周囲の透塀など、京都の仏堂建築では珍しい造り。本尊に小さめですが毘沙門天像を安置。
比較的、まだ紅葉が残る本堂の東側。高台弁財天。
豊臣秀吉の母大政所が大阪城内で念じ、落城後に北政所(ねね)が高台寺に移され祀られた弁才天を公弁親王によりここに勧請。
豊臣秀吉の母大政所が大阪城内で念じ、落城後に北政所(ねね)が高台寺に移され祀られた弁才天を公弁親王によりここに勧請。
多くの撮影隊がここを中心に集まってました。
御朱印もこの時期限定のものもあるようです。
このあたりも、建物の朱色と紅葉のコラボがいい風景。
藤棚。
なんじゃこら?と、初めて見る藤の実。こんな空豆の干物みたいなやつがいっぱいぶら下がってました(笑)
なんじゃこら?と、初めて見る藤の実。こんな空豆の干物みたいなやつがいっぱいぶら下がってました(笑)
最初に見た石段を上から俯瞰で。
紅葉シーズンは終盤。そして時は秋から冬へ。毘沙門堂では次の義士祭に向け、着々と準備中のようで、こんな登りも立ってました。義士祭は今月14日開催。こちらもお見逃しなく!
毘沙門堂へのツイート
山科の毘沙門堂に行ってきました。天井龍や襖絵など見応えある天台宗のお寺でした。あともう少し早く来たら勅使門前の紅葉がもっと美しかったかな😅 pic.twitter.com/t8Cr4PhyXl
— かなっち (@kanattchi) December 3, 2019
すでに外観からも今シーズンピークを過ぎたことがわかる紅葉具合。それでも、この日は多くの観光客でにぎわい、まだまだイケる感が漂っていました(笑)