江戸時代に建てられた街道『志賀越道』の道標
左京区吉田の東大路通り沿い。京都大学の吉田キャンパスの広がるエリア。吉田神社の参道でもあり、京都大学の正門のある東一条通り。
こちらが京都大学の時計台のある正門。
今年の卒業式は新型コロナウイルスの影響で中止になったと聞いていましたが、正門前では袴姿で記念撮影する学生らしき人たちがいました。
今年の卒業式は新型コロナウイルスの影響で中止になったと聞いていましたが、正門前では袴姿で記念撮影する学生らしき人たちがいました。
そんな京都大学の脇。東大路通りと東一条通りの交差点東北角。
どうでしょう。大きさでいうと1mもないような小さい石造りの道標。これまで見てきた道標の中でも小ぶりです。
宝永6年(1709年)に建てられたもので、京都市の登録史跡。市内で3番目に古い道標なんだとか。かつての街道『志賀越道』沿いの道標。志賀越道は『京の七口』で知られる、荒神口から滋賀へ抜ける街道。
そしてこの道標、よくよく見ると、東西の通りから見やすい向きに建てられておらず、斜め45度に回転させた向きに。
現在では京都大学のキャンパスで分断され、古い街道を意識することもありませんが、かつて京都大学が建つ前には、東北に走る志賀越道がありました。以前にもご紹介した「北白川西町道標」にも続く街道。
現在では京都大学のキャンパスで分断され、古い街道を意識することもありませんが、かつて京都大学が建つ前には、東北に走る志賀越道がありました。以前にもご紹介した「北白川西町道標」にも続く街道。
よくよく見ると、かなり破損しています。なんでも工事の際破損したものを京都大学の先生が補強してこのような形になったとか。
南面 左 百まんへんえの道
東面 右 さかもと からさき 白川えの道
北面 宝永六年 己丑十一月日
西面 沢村道範
建立者の沢村道範は当時京都に数多くの道標を建てたことで知られ、江戸中期の元禄から宝永年間にかけて4基の道標を建てた人物。山科の四ノ宮に住み、道標は自費で建てたそうです。
現在では京都大学があるため、敷地部分にあった街道は存在せず、その正当な機能を果たさなくなった道標ですが、かつての街道の様子を物語る重要な史跡。興味深いですね。
建立者の沢村道範は当時京都に数多くの道標を建てたことで知られ、江戸中期の元禄から宝永年間にかけて4基の道標を建てた人物。山科の四ノ宮に住み、道標は自費で建てたそうです。
現在では京都大学があるため、敷地部分にあった街道は存在せず、その正当な機能を果たさなくなった道標ですが、かつての街道の様子を物語る重要な史跡。興味深いですね。
吉田本町道標へのツイート
いいねぇ (@ 吉田本町道標 in Kyoto, Kyōto) https://t.co/w0jNoX7Q9I pic.twitter.com/IL8UR5tUA8
— 松平大和守【公式】 (@_NAOMETAL_) March 21, 2020
詳細情報
名称:吉田本町道標
住所:京都市左京区吉田本町
住所:京都市左京区吉田本町