情緒あふれる白川沿い
古い石造りの白川橋から眺めてみると、毎年そうであるように、桜シーズンの終焉とともに、今度はこの柳並木の出番です。鬱蒼とした葉が旺盛に繁り、目にも鮮やかな新緑。
琵琶湖疏水の開通後、白川は南禅寺舟溜で疏水に合流。さらに、神宮道に架かる慶流橋下、仁王門橋下流で、再び疏水を離れて白川となり、鴨川に併流する鴨東運河(疏水)に合流。
川沿いにはこんな小さな石段がいくつもあり、昔から生活用水として活用されてきたことがうかがえるような。そんなこともあり、市内の他の有名河川より、川幅も狭く水位も低めなので、身近な印象を与える白川。
そんな白川ですが、江戸時代には今よりも川幅広く水量もあり、たびたび氾濫を起こすほどだったんだとか。そして、白川砂は北白川扇状地を形成する花崗岩の砂礫であり、砂は色が白く、水はけがよく、箒目を美しく描くことができるのが特徴。また、雨水を含むと雲母が黒く変色し、乾くと白く輝くことから、京都の枯山水の庭園、灯篭、石碑などに重宝されてきました。
そんな白川ですが、江戸時代には今よりも川幅広く水量もあり、たびたび氾濫を起こすほどだったんだとか。そして、白川砂は北白川扇状地を形成する花崗岩の砂礫であり、砂は色が白く、水はけがよく、箒目を美しく描くことができるのが特徴。また、雨水を含むと雲母が黒く変色し、乾くと白く輝くことから、京都の枯山水の庭園、灯篭、石碑などに重宝されてきました。
わりと新しい柳の木。こちらは昨年の台風21号で倒れてしまったものを植えなおしたんですね。
よく、うつらうつらと寝入ってしまうことを「白河夜船」と言いますが、「白河」はこの「白川」のこと。そして、もう一つの意味があるそうです。
京を知らない人が白川のことを聞かれ、「夜船で通って寝ていたのでわからない」と答えた。白川は狭く浅い川で船は通ることが出来ないことから、知ったかぶりをする人、という意味もあるんだとか。これ、この白川が語源になってるって知りませんでした。
京を知らない人が白川のことを聞かれ、「夜船で通って寝ていたのでわからない」と答えた。白川は狭く浅い川で船は通ることが出来ないことから、知ったかぶりをする人、という意味もあるんだとか。これ、この白川が語源になってるって知りませんでした。
一本橋。別名は行者橋。天台宗の修行のうちでも随一の荒行とされる千日回峰行を終えた行者が、入洛する際最初に渡る橋ということでこの名がついたそうです。
自分呼称では根性橋。肝試しにチャリで渡る時、根性見せたれ!との思いでそう呼んでます(どうでもいい情報笑)あ、マネしないでください。川ポタ(ポタリングの略)ならぬ、川ポチャになってしまいますよ。
自分呼称では根性橋。肝試しにチャリで渡る時、根性見せたれ!との思いでそう呼んでます(どうでもいい情報笑)あ、マネしないでください。川ポタ(ポタリングの略)ならぬ、川ポチャになってしまいますよ。
今回はフツーに歩いて渡ってみます。
ちょっと背景が風光明媚な印象もあり、こんなふうに観光客がよく橋を渡る場面を撮影されています。
こちらは撮影にもよく使われる知恩院門前の親水テラス。散策途中の休憩場所にもいいですね。最近では着物や浴衣で京都散策をする観光客も増え、和装映えするスポットでもあります。
白川というと、祇園のちょっとゴージャスな雰囲気の白川沿いをよく連想されると思いますが、昔の風情そのままでありながら、日常の風景としてとけこみ、日々の憩いの場として健在のこの界隈の白川も京都らしい風情。新緑にも癒されるスポット。
川底に白川砂が堆積し白く輝いたことから、その美しさを称えられ、藤原定家、紀貫之などの和歌にも歌われました。