【京都】大河ドラマ「光る君へ」藤原道長が栄華を誇った「土御門第」と「法成寺」の跡地を探訪

NHK大河ドラマ「光る君へ」の重要人物・藤原道長は内裏にほど近い「土御門第」に住んでいました。さらに晩年には広大な敷地を持つ「法成寺」を建立し、栄華を極めました。現在、その「土御門第」と「法成寺」がどうなっているのか探訪してきましたので、その様子をご報告します。

目次

藤原道長の栄華の象徴「土御門第」

「土御門第」は平安時代、内裏のすぐ東にあった大邸宅で、藤原道長の栄華の象徴でした。
有名な「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば(この世は満月にかけている所がないように、すべて自分の思い通りだ)」という「望月の歌」が詠まれたのも、この「土御門第」だったと云われています。

現在、土御門第があった場所には何もなく、京都御苑内の広々とした憩いの場となっています。

天気の良い日はレジャーシートを敷いて、くつろぐ親子連れの姿をよくみかけます。

ここが土御門第だったことを示すものは、その旨が書かれた立て札が一つあるのみです。

栄華を誇った「土御門第」ですが、道長が亡くなり、鎌倉時代に入ると急速に荒廃していきます。
その没落は盛者必衰の理で、吉田兼好は『徒然草』の中で土御門弟と道長が建立した法成寺がすっかり廃墟となってしまっている様子を記しています。

バッタが原

土御門第の跡地は一角が「バッタが原」となっていました。

雑草が刈られずにそのままにされている一角で、様々な虫の鳴き声が大合唱となっており、小さな虫たちの楽園となっているようです。
実際にバッタの姿は確認できませんでしたが、バッタが原の看板にセミの抜け殻を発見しました。

藤原道長が晩年に建立した「法成寺」

「法成寺(ほうじょうじ)」は土御門第の東隣に建立された当時最大級の豪壮な寺院で、こちらも道長の権力の象徴でした。
その姿は、後に藤原道長の長男・藤原頼通が宇治に平等院鳳凰堂を建立していますが、法成寺を参考にしたと云われていて、法成寺は鴨川の対岸から見れば、今の宇治にある鳳凰堂のような姿に見えたとも考えられています。

現在、法成寺の跡地に痕跡を示すものは何もなく、京都府立鴨沂高等学校の塀に、法成寺跡を示す石標が立てられているのみです。

法成寺推定地出土の「礎石」

しかしながら法成寺推定地でマンションの建設が行われた際、巨大な礎石と石造の胎蔵大日如来像などが出土し、それらが清浄華院に運び込まれました。

「清浄華院(しょうじょうけいん)」は、浄土宗の七大本山の一つで、さらに知恩院、百万遍知恩寺、金戒光明寺と並んで「京都四ヶ本山」の一角を担う大本山です。

清浄華院は、持ち込まれた礎石と胎蔵大日如来像を供養し、法成寺金堂落成1000年となる2022年に、礎石を境内に展示しました。

面影が失われてしまった法成寺ですが、こちらでその痕跡を拝見することができます。

NHK大河ドラマ「光る君へ」で、藤原道長が注目を集める今、栄華を誇った「土御門第」と「法成寺」を訪ね、栄枯盛衰の時の流れを感じてみてはいかがでしょうか?

アクセス

<土御門第跡>
 ◇所在地
  〒602-0881
  京都府京都市上京区京都御苑
 ◇電車
  ・京阪:出町柳駅より 徒歩19分
  ・京阪:神宮丸太町駅より 徒歩19分
 ◇バス
  ・京都市バス:府立医大病院前より 徒歩6分
 ◇駐車場
  ・アリ(京都御苑の駐車場)
<法成寺跡>
 ◇所在地
  〒602-0856
  京都府京都市上京区荒神町
 ◇電車
  ・京阪:出町柳駅より 徒歩19分
  ・京阪:神宮丸太町駅より 徒歩13分
 ◇バス
  ・京都市バス:府立医大病院前より 徒歩4分
 ◇駐車場
  ・ナシ
<清浄華院>
 ◇所在地
  〒602-0852
  京都府京都市上京区北之辺町395
 ◇電車
  ・京阪:出町柳駅より 徒歩9分
  ・京阪:神宮丸太町駅より 徒歩19分
 ◇バス
  ・京都市バス:河原町今出川より 徒歩3分
  ・京都市バス:河原町今出川より 徒歩4分
 ◇駐車場
  ・アリ