珍しい形の古墳でもある天皇陵
山科・地下鉄御陵(みささぎ)駅から三条通を東へ。御陵(みささぎ)という地名もここからきているんでしょうね。
キレイに整備された植え込みと広い入り口。
大化元年(645)から翌年にかけて中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)・中臣鎌足(なかとみのかまたり)が中心となって行った、蘇我氏打倒に始まる一連の政治改革・大化の改新。その中大兄皇子、のちの天智天皇のお墓である御陵がここ。
大化元年(645)から翌年にかけて中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)・中臣鎌足(なかとみのかまたり)が中心となって行った、蘇我氏打倒に始まる一連の政治改革・大化の改新。その中大兄皇子、のちの天智天皇のお墓である御陵がここ。
天智天皇が皇太子時代に日本で最初の水時計を作ったと言われていることから、入り口の左手にはこんな日時計モニュメントが。この日は曇天だったので、影もなく、時間もわからない状態でしたが(汗)
もちろん宮内庁管轄。
注意書きがあり、みだりに域内に立ち入らぬこと、魚鳥等を取らぬこと、竹木等を切らぬこと、と書かれています。
注意書きがあり、みだりに域内に立ち入らぬこと、魚鳥等を取らぬこと、竹木等を切らぬこと、と書かれています。
広大な敷地に、まっすぐに伸びた一本道。野鳥の種類が豊富なのか、さまざまな鳴き声が聞こえます。
どちらかと言えば、常緑樹中心のようですが、時折モミジもあり紅葉が始まっています。
さらに進むと鬱蒼とした緑が広がります。
ここから道をそれ、山手に向かうと山科疏水の遊歩道へも合流できます。
石畳の道をさらに。ようやく門が見えてきます。ここまでずっと一本道が続きます。
その傍らには原生林もあり、野生動物も多く出没。
こちらが天智天皇山科稜。
二段構えで柵があり、一番奥には石造りの鳥居が。
天智天皇は671年に大津宮で崩御。その御陵の土地としてここが選定されましたが、壬申の乱の勃発により、死後28年たった699年に山陵修営官が任命されたそうです。
天智天皇は671年に大津宮で崩御。その御陵の土地としてここが選定されましたが、壬申の乱の勃発により、死後28年たった699年に山陵修営官が任命されたそうです。
さらに古墳としても興味深く、墳丘は上円下方墳で、下段方形部は1辺約70メートル、上円部は直径約40メートル、高さ約8メートル。その上円部は他にはあまり類を見ない截頭八角錐(せっとうはっかくすい)。
山科エリアの紅葉散策とともに、ちょっと足をのばしてみるのも面白いですね。驚くほどの静けさと自然にあふれた場所です。
天智天皇山科陵 へのツイート
【不思議】
— Fusakichi4789😀 (@12189_fm) October 28, 2019
…わたしは、約25年前に東北の片田舎から京都に移り住んだが、京都に来て最初に驚いたのは、天智天皇陵が近所にあることだった。
天智天皇…626年(推古天皇34年)~
672年1月7日(天智天皇10年12月3
日)
諱・葛城
参考画像・天智天皇陵
(この奥) pic.twitter.com/sd2m37EPx2