NHK大河ドラマ『麒麟がくる』主人公・明智光秀最期の地
山間の古い住宅が立ち並ぶ、ちょっとややこしい場所にありますが、このように道標があります。
さらに、以前とは違い、大河ドラマののぼりも立っていて、案内してくれます(笑)
古い住宅街の路地を山側に上っていくと、こちらにたどり着きます。
『明智藪』と書かれた石碑。
天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変で天下を征服。その後明智軍は6月13日に京都山崎において天下分け目の合戦『山崎の合戦』で豊臣秀吉軍に敗れ、近臣十余名と共に坂本城を目指し、落ち延びる途中この小栗栖にて落ち武者狩りの百姓に襲撃され致命傷を負い、自害したと伝わっています。
ですが、こちらの石碑や最近の調査では、織田信長の近臣であり、かつてこの辺りに存在した小栗栖城の城主・飯田氏の率いる武士集団の襲撃にあったとも言われています。
天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変で天下を征服。その後明智軍は6月13日に京都山崎において天下分け目の合戦『山崎の合戦』で豊臣秀吉軍に敗れ、近臣十余名と共に坂本城を目指し、落ち延びる途中この小栗栖にて落ち武者狩りの百姓に襲撃され致命傷を負い、自害したと伝わっています。
ですが、こちらの石碑や最近の調査では、織田信長の近臣であり、かつてこの辺りに存在した小栗栖城の城主・飯田氏の率いる武士集団の襲撃にあったとも言われています。
さらに先へ進みます。
周辺はこのように竹藪になっています。
そして、のぼりが。
『明智光秀が築いた城下町・福知山』と書かれています。福知山で分けてもらったものでしょうか(笑)
『明智光秀が築いた城下町・福知山』と書かれています。福知山で分けてもらったものでしょうか(笑)
その傍ら。ここで明智光秀が討たれた、とあり、その時の様子でしょうか。彩色を施した絵も飾られています。
以前はもっと山全体が竹藪で鬱蒼としていた印象でしたが、大河効果で観光客も訪れると想定してか、かなり拓けた場所になっています。
当時、この辺りはかつてあった巨椋池にも近く湿地帯。そして6月という雨季でもあり、蒸し暑い中で光秀は最期を迎えたのかと想像してみたり。
当時、この辺りはかつてあった巨椋池にも近く湿地帯。そして6月という雨季でもあり、蒸し暑い中で光秀は最期を迎えたのかと想像してみたり。
さらにそのすぐ近くにあるお寺、本経寺。わりと新しそうな建物。明智藪もこのお寺の寺領内にあります。
さらに、境内には供養塔も。
大河ドラマも2月上旬に最終回を迎えますが、ドラマを通して多くの方がこれまで抱いていた光秀像より好印象を持たれたのではないかと(笑)私もその一人ですが。なので、光秀にまつわる史跡も今訪れてみると、また違った印象に映るのではないでしょうか。
大河ドラマも2月上旬に最終回を迎えますが、ドラマを通して多くの方がこれまで抱いていた光秀像より好印象を持たれたのではないかと(笑)私もその一人ですが。なので、光秀にまつわる史跡も今訪れてみると、また違った印象に映るのではないでしょうか。
詳細情報
名称:明智藪
場所:京都市伏見区小栗栖小阪町 寺領 本経寺
場所:京都市伏見区小栗栖小阪町 寺領 本経寺
そろそろドラマも最終回間近ということで、もう一度訪ねてみることに。