日本最古『黒招き猫』を祀るお寺
ということで、一つの謎が解けました。
以前たまたまこのお寺を会場に、沖縄フェスタが催されてましたが、もともと琉球王国と開祖がゆかりあったためなんですね。境内には沖縄民謡や沖縄料理の露店も並び、大いに盛り上がっていました。
以前たまたまこのお寺を会場に、沖縄フェスタが催されてましたが、もともと琉球王国と開祖がゆかりあったためなんですね。境内には沖縄民謡や沖縄料理の露店も並び、大いに盛り上がっていました。
今回改めてお寺を訪問したいと思いやってきました。奥へと続く参道。こちらは三条門。明治21年(1888年)奥に見える二層楼門と共に建立。
鴨川の氾濫や応仁の乱などの戦乱により、洛東三条から洛中五条に移転したとも、一時洛東三条東洞院に移転したとも言われ、移転を繰り返した後、永禄年間(1558~1570年)に焼失したとも伝わりますが、諸説あり詳細については不明。
その参道の途中にある像は猫でしょうか。
お寺には江戸の中頃、主夜神尊の銘を刻んだ日本最古の伝承をもつ招福猫・黒招き猫が秘仏として祀られ、毎年12月の第1土曜日に執り行われる招福猫・主夜神大祭で御開帳されるんだとか。授与品にも黒招き猫の像があり、ネコ好きさんにも必見。
お寺には江戸の中頃、主夜神尊の銘を刻んだ日本最古の伝承をもつ招福猫・黒招き猫が秘仏として祀られ、毎年12月の第1土曜日に執り行われる招福猫・主夜神大祭で御開帳されるんだとか。授与品にも黒招き猫の像があり、ネコ好きさんにも必見。
すると、境内のちょうど中央くらいに位置する楼門。
三条門と同じく、明治21年(1888年)に二十二世譲誉玄亮(じょうよげんりょう)上人によって建立。
三条門と同じく、明治21年(1888年)に二十二世譲誉玄亮(じょうよげんりょう)上人によって建立。
かなり立派な楼門で、表裏四隅に四天王立像を祀る。楼内には縮冊一切経、十六羅漢像、大日如来像が安置されているとか。
その境内の東には児童館、北には保育園があり、周辺住民にとっても日常的になじみ深いお寺であることがわかります。
そして、本堂。
現在の本堂は、寛政3年(1750年)頃に十二世良妙(りょうみょう)上人により建立。お堂の中に入ることは叶いませんでしたが。
その扁額に山号『朝陽山(ちょうようざん)』。お寺の前身は、浄土宗三条派祖の道光了恵上人が開創した悟真寺にあるとされます。了恵上人は文永5年(1268年)亀山天皇より帰依を受け、文永9年(1272年)勅額を賜って洛東三条に悟真寺を開き、さらに建治2年(1276年)に『朝陽山』の山号勅額を賜ったとされます。
現在の本堂は、寛政3年(1750年)頃に十二世良妙(りょうみょう)上人により建立。お堂の中に入ることは叶いませんでしたが。
その扁額に山号『朝陽山(ちょうようざん)』。お寺の前身は、浄土宗三条派祖の道光了恵上人が開創した悟真寺にあるとされます。了恵上人は文永5年(1268年)亀山天皇より帰依を受け、文永9年(1272年)勅額を賜って洛東三条に悟真寺を開き、さらに建治2年(1276年)に『朝陽山』の山号勅額を賜ったとされます。
さらに、こちらは川端通り沿いの赤門・川端門。
主夜神尊への信仰厚い有栖川音仁親王一族により、明和3年(1766年)本堂再建の際、寄進された薬医門。そのため屋根には菊紋の獅子口があるとか。別名・開運門とも呼ばれ、京都市指定の重要文化財。
主夜神尊への信仰厚い有栖川音仁親王一族により、明和3年(1766年)本堂再建の際、寄進された薬医門。そのため屋根には菊紋の獅子口があるとか。別名・開運門とも呼ばれ、京都市指定の重要文化財。
交通量の多い、三条通りと川端通りの最寄りにあることを感じさせない、静かなたたずまいのお寺。緑も多く、憩いの場になりますね。
袋中上人はまだ見ぬ仏法を求めて明に渡ることを企図し、渡明の便船を求めて琉球王国に滞在。そこで浄土宗布教に努めるも、渡明の便船が見つからず帰国。その後、檀王法林寺をはじめ多くの浄土宗寺院の創建や中興をおこなった人物。