伏見(奈良)街道から旧東海道へ街道ぶらり
山科区小山、ちょうど滋賀県との県境へ向かう。すぐ先に大津市が隣接する場所。古い家屋も時折見かける、かつての伏見(奈良)街道。
その街道沿いの一般のお宅。通り沿いからお庭が見えるんですが、かつての風情残す道標的な石標や灯篭も。
その緩やかな傾斜を上り詰めたところを振り返ると、絵にかいたようなY字路になっています。
ちょうど2つの街道の分岐点となる『追分(おいわけ)』。かつての街道の分岐点をそう呼び、「牛馬を追い、分ける場所」を意味する場所。
全国にはここ以外にも『追分』がありますが、こちらは『山科(髭茶町)追分』にあたります。
全国にはここ以外にも『追分』がありますが、こちらは『山科(髭茶町)追分』にあたります。
右へ向かうと、旧東海道。この先三条通りにつながり、終着点の三条大橋へと続きます。
この旧東海道も古い風情残し、こんなレトロな現役郵便ポストも道々ありました。
方や、左はここに来るまでに通ってきた伏見(奈良)街道。南西へ進むと、かつて宿場があった伏見へと続き、さらには旧東海道57次経由で大阪へと向かう街道。
そのちょうど分岐点となる場所に石標がありますが、若干補修されています。なんでも、交通事故で損傷し、金属板で補強されてるそうです(汗)
道標は高さ1.4mほど。「みぎハ京ミチ、ひだりハふしミミち、柳緑花紅」と刻まれ、昭和29年3月に再建とあり、比較的これ自体は新しいもの。オリジナルは江戸時代中期に建てられ、現在は安土城考古博物館にあるそうです。
江戸時代、多くの往来でにぎわいを見せた、このあたりの様子が大津絵で描かれ、掲示されています。古い佇まいの細い道ですが、意外と抜け道として活用する車で交通量多く、モータリゼーション化された現代でも、多少その名残りがあります。
ちょうど峠道の途中でもあり、眼下には山科周辺の街並みが見渡せ、旅人にとってはもうすぐ目的地!と自分を鼓舞するポイントだったのかな、と想像してみたり。当時の様子を想像しながら街道を歩くのも、また楽しいですね。
ちょうど峠道の途中でもあり、眼下には山科周辺の街並みが見渡せ、旅人にとってはもうすぐ目的地!と自分を鼓舞するポイントだったのかな、と想像してみたり。当時の様子を想像しながら街道を歩くのも、また楽しいですね。
山科(髭茶屋)追分へのツイート
京街道と東海道(中山道)の分かれ道である、山科追分へ🚶♂️
— 夕暮れ@歩く人 (@yuugure_blue) September 14, 2019
ここへは京街道歩き旅で二ヶ月前に来たばかりですが、既に懐かしいです😆 pic.twitter.com/pPeTfZid8r
基本情報
名称:追分
住所:滋賀県大津市4
住所:滋賀県大津市4