子供や白川女の交通安全を見守るお地蔵さん
京都大学農学部から今出川通りを東へ。すると、かつての近江(滋賀)へ抜ける志賀越道があるY字路。
その交差点道沿いにある、一際大きな石仏。通常よく町で見かけるお地蔵さんとは比べものにならないほどの巨大サイズ。高さ2メートル以上。
地元住民だけでなく、広く市民に親しまれているお地蔵さん。
地元住民だけでなく、広く市民に親しまれているお地蔵さん。
鎌倉時代中期の作と言われている石仏。
数々の伝説を持つお地蔵さんだが、中でも有名なのが戦国武将・豊臣秀吉を負かしたとの言い伝えが。
ある時、秀吉に気に入られ聚楽第に移設。すると、毎夜「白川に戻せ」とのうなり声を上げ、秀吉も困惑。元の地に戻されたという。
数々の伝説を持つお地蔵さんだが、中でも有名なのが戦国武将・豊臣秀吉を負かしたとの言い伝えが。
ある時、秀吉に気に入られ聚楽第に移設。すると、毎夜「白川に戻せ」とのうなり声を上げ、秀吉も困惑。元の地に戻されたという。
その後、文政13(1830)年の白川村の大火では、両手と首がちぎれ「首切れ地蔵」と呼ばれ、村の入口に当たる現在の場所に移され、子授けや安全など子どもの成長を見守る観音として信仰。
そして、京の町へ四季の花を売り歩く「白川女」が一日の無事と商売繁盛を祈り、出産間近の行商の際には途中陣痛に襲われないよう祈願したという。
そして、京の町へ四季の花を売り歩く「白川女」が一日の無事と商売繁盛を祈り、出産間近の行商の際には途中陣痛に襲われないよう祈願したという。
今でもこのあたりの町内では、毎月1日、15日にはお花を取り換え、絶やさないという。この界隈のシンボル的存在のお地蔵さん。昔白川女がここを行き来した風景がよみがえるような。
子安観世音 へのツイート
20180714 マニアック京都
— narazuki (@narazuki) 2018年7月14日
大文字のベストビューポイント
近くに子安観世音という大きな石仏があります pic.twitter.com/boDCKzhOGU
基本情報
名称:子安観世音
住所:京都市左京区北白川西町
住所:京都市左京区北白川西町