ワンチャン狙いで紅葉絶景の名物石段☆
辺りはしっとりと濡れ、落葉したカエデの赤でうっすら彩られている様子。
苔とのコントラストもいい具合で、赤、黄、緑が織りなす錦秋。
そして、こちらが名物の石段。
紅葉シーズンになると、この石段の散紅葉が形成する赤い絨毯風景を撮影しようと、早朝から参拝客が殺到するわけですが、まだ落葉するには早かった様子。それでも朝から撮影しようとやってくる観光客絶え間ない感じでした。
紅葉シーズンになると、この石段の散紅葉が形成する赤い絨毯風景を撮影しようと、早朝から参拝客が殺到するわけですが、まだ落葉するには早かった様子。それでも朝から撮影しようとやってくる観光客絶え間ない感じでした。
こちらは以前同じ場所を撮影した時の様子ですが、この時は紅葉ピーク時に前日雨が降り、強制落下して作り上げた紅葉じゅうたんの絶景。
これ以降、JR東海『そうだ京都、行こう。』のポスターになったり、NHKが生中継しに来たり、急激に注目を浴びるようになりました。運が良ければワンチャンこんな光景を目の当たりにすることが可能。
これ以降、JR東海『そうだ京都、行こう。』のポスターになったり、NHKが生中継しに来たり、急激に注目を浴びるようになりました。運が良ければワンチャンこんな光景を目の当たりにすることが可能。
そこからさらに石段を登り、本堂へ。振り返ると、紅葉を従えていました(笑)
仁王門に大きな提灯。その正面に本堂があります。
大宝3年(703年)文武天皇の勅願により行基が出雲寺を開基。出雲寺は上京区にある相国寺北側、上御霊神社付近にあったといわれ、今でもそのあたりの地名「出雲路」が残っています。
平安時代末期に荒廃し、室町時代応仁の乱で焼失。その後再建されるも再び焼失。江戸時代の慶長年間(17世紀初頭)に徳川家康の側近であった天台宗僧・天海により再建。その際、山科の安朱寺の寺領の一部を出雲寺に与え、移転復興したのがはじまりと伝えられています。
平安時代末期に荒廃し、室町時代応仁の乱で焼失。その後再建されるも再び焼失。江戸時代の慶長年間(17世紀初頭)に徳川家康の側近であった天台宗僧・天海により再建。その際、山科の安朱寺の寺領の一部を出雲寺に与え、移転復興したのがはじまりと伝えられています。
今回はまだ拝観時間前だったので本堂へは訪れませんでしたが、延暦寺根本中堂のご本尊薬師如来の余材をもって、天台宗の宗祖・伝教大師(最澄)自ら彫ったと伝わる毘沙門天像がご本尊として祀られています。
本堂西側の渡り廊下から広がる錦秋の風景。カメラ持参の方がよく撮影されているポイント。
こちらは薬師門と勅使門から。先ほど下から見上げた石段風景を上から見渡した時の様子。
境内の東側、高台弁財天。
豊臣秀吉の母大政所が大阪城内で念じ、落城後北政所(ねね)が高台寺に移し祀っていた弁才天を公弁親王によりここに勧請。紅葉シーズンにはこの風景を撮影する方多数で、江戸初期の回遊式庭園『晩翠園』まわりの紅葉が水面に映し出された風景を撮影しようと、この時も数人カメラを持つ方がおられました。
豊臣秀吉の母大政所が大阪城内で念じ、落城後北政所(ねね)が高台寺に移し祀っていた弁才天を公弁親王によりここに勧請。紅葉シーズンにはこの風景を撮影する方多数で、江戸初期の回遊式庭園『晩翠園』まわりの紅葉が水面に映し出された風景を撮影しようと、この時も数人カメラを持つ方がおられました。
御朱印も、紅葉の名所らしく、紅葉柄のもの中心にいろいろとバリエーションがあるようです。
ひっそりとした雰囲気が人気のお寺。紅葉めぐりのご参考に。
ひっそりとした雰囲気が人気のお寺。紅葉めぐりのご参考に。
この日はそろそろ紅葉も見頃で、前日の雨による落葉で名物石段が赤く染まっているのでは?とパトロールにやってきました。11月14日の様子。