西陣の住宅街にある隠れスポット神社
石造りの鳥居横には御神木であるクロガネモチの木。樹齢500年位だそうです。
鳥居をくぐり、さらに進むと高台に本殿。わりとこじんまりとした境内。
平安時代55代文徳天皇(850年)の頃、皇后が子宝祈願のため、奈良の春日大社から御霊を遷し奉ったのが神社の始まり。
社名「七野」は、船岡山麓一帯にあった原野、紫野・禁野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野(神野・神明野・萩野・御栗栖野)のことを表し、これら七野の惣社として祀られたと伝えられる。
平安時代55代文徳天皇(850年)の頃、皇后が子宝祈願のため、奈良の春日大社から御霊を遷し奉ったのが神社の始まり。
社名「七野」は、船岡山麓一帯にあった原野、紫野・禁野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野(神野・神明野・萩野・御栗栖野)のことを表し、これら七野の惣社として祀られたと伝えられる。
葵祭でも登場する賀茂社に奉仕する斎王が住む紫野斎院の跡ともいわれ、わりと新しい石碑が。
こちらも新しめで鹿の像が。
かつては毎年春になると、どこからともなく神前に現れる一頭の鹿を奈良へ送るという慣習があったようですが、明治6年(1872)以後見られなくなり、明治28年(1895)には奈良の春日神社から神鹿2頭を貸与されたという記録も残る。
かつては毎年春になると、どこからともなく神前に現れる一頭の鹿を奈良へ送るという慣習があったようですが、明治6年(1872)以後見られなくなり、明治28年(1895)には奈良の春日神社から神鹿2頭を貸与されたという記録も残る。
本殿。
応仁・文明の戦乱や幾多の大火焼失等の都度、再興され現在に至る。
織田信長により遊宴地にするため一度社を引き下ろされたが、豊臣秀吉がそれを再建。その際、各大名に石垣の寄進を命じ、その石には大名の家紋などが刻まれているそうです。今回未確認でした。
応仁・文明の戦乱や幾多の大火焼失等の都度、再興され現在に至る。
織田信長により遊宴地にするため一度社を引き下ろされたが、豊臣秀吉がそれを再建。その際、各大名に石垣の寄進を命じ、その石には大名の家紋などが刻まれているそうです。今回未確認でした。
そんな本殿両脇にある不思議な白砂。というか、大きさ的には小石。山積みになっていますが。
59代宇多天皇(894年)の心変わりから愛を取り戻そうとした皇后が夢のお告げにより、社殿の前に白い砂を山の形に積んだところ、天皇の愛が戻ったことから、社前に白砂を積むと復縁・浮気封じのご利益があるとされる。
59代宇多天皇(894年)の心変わりから愛を取り戻そうとした皇后が夢のお告げにより、社殿の前に白い砂を山の形に積んだところ、天皇の愛が戻ったことから、社前に白砂を積むと復縁・浮気封じのご利益があるとされる。
ちょっと面白いのが、その浮気相手の家や身の回りにこの砂を忍ばせるとその効果があるとか。さらに、浮気相手が多数すぎる場合は自宅の玄関から節分豆まきの要領で白砂をまいて念じると願いが叶うというもの。
まあ、あまり浮気性の相手だと縁切りも大変ですね(笑)切実にお悩みの方はぜひ御祈願ください。
まあ、あまり浮気性の相手だと縁切りも大変ですね(笑)切実にお悩みの方はぜひ御祈願ください。
櫟谷七野神社 へのツイート
浮気封じ祈願なら櫟谷七野神社へどうぞ!
— RELEASE(リリース)公式 (@release_info) July 4, 2017
先日アッコにおまかせで、芸人の陣内智則さんがプレゼントされていた浮気封じの御札は、おそらくこちらのものではないかなと思います。
櫟谷七野神社の高砂山祈願では、恋愛成就・浮気封じ・復縁祈願が… https://t.co/2hfXm5TPLd pic.twitter.com/alRqr9zmZE
住宅街にぽっかりと空間ができ、突如出現するような立地。