代々続く清水焼の名跡『清水六兵衛』ゆかりの池
山科区西野、渋谷街道沿い。さして、目印になるような神社仏閣や公共施設があるわけでもない住宅街。ここに『六兵ヱ池公園』と呼ばれる公園があります。
つい先日、左京区岡崎にある京都国立近代美術館で開催中の展覧会『生誕100年清水九兵衛/六兵衛』に行ってきました。『清水六兵衞』は江戸時代中期から230年以上続く京焼(清水焼)の名跡で、展覧会では七代目清水六兵衞の作品が紹介されていました。
で、意外にもこの清水六兵衛とこの『六兵ヱ池公園』につながりがあったことを知り、やってきました。
公園は中央部分が少し小高くなっており、その周囲は散策道になっていて、この時も多くの方のお散歩コースになっていました。
公園は中央部分が少し小高くなっており、その周囲は散策道になっていて、この時も多くの方のお散歩コースになっていました。
散策道の横には湧き水、水場や水路もあります。近くを流れる山科川が氾濫すると水位が上がる可能性もあるとか。こんなところに、かつての様子が偲ばれます。
じつは、かなり昔、子供の頃にこの付近に住んでいたことがあり、当時この場所には『六兵ヱ池』と呼ばれる大きな池があり、近くの駄菓子屋でよっちゃんイカを調達し、よくザリガニ釣りをしに来たり(笑)それこそ、この辺りのランドマークとして知られる池でした。
じつは、かなり昔、子供の頃にこの付近に住んでいたことがあり、当時この場所には『六兵ヱ池』と呼ばれる大きな池があり、近くの駄菓子屋でよっちゃんイカを調達し、よくザリガニ釣りをしに来たり(笑)それこそ、この辺りのランドマークとして知られる池でした。
そもそも名称『六兵ヱ池』の由来など、当時知る由もなかったわけですが、ネット検索しているうちに、かつてこの場所には3代目清水六兵衛の広大な別荘があり、その池が別荘のそばにあったことから『六兵ヱ池』と呼ばれるようになったことを知りました。当時、清水六兵衛の影響力絶大!ということだったんですかね(笑)
別荘は建って間もなく火災に遭い全焼。空き地に池だけが残り、泥沼のような濃緑の池で危険だったため、恐らく立ち入り禁止になっていたと思いますが、こっそり釣りなどを楽しむ子供の遊び場になっていました。
別荘は建って間もなく火災に遭い全焼。空き地に池だけが残り、泥沼のような濃緑の池で危険だったため、恐らく立ち入り禁止になっていたと思いますが、こっそり釣りなどを楽しむ子供の遊び場になっていました。
それが30年ほど前に池が埋め立てられ、今のような公園に整備。ちょうど小高くなったグラウンドや遊具、トイレのあるこの砂地エリアが池だった場所だと記憶しています。
公園内にはお地蔵さんがあり、たしかかつても古い祠にお地蔵さんがあったな、とうっすらと記憶にあったり。今となっては散策道の水路や水場だけが、池だったことを偲ばせるのみの公園ですね。令和に開催中の展覧会が思わぬヒントになり、久しぶりに訪ねてみました。町に歴史あり。
詳細情報
名称:六兵ヱ池公園
場所:京都市山科区西野八幡田町4
場所:京都市山科区西野八幡田町4