今なお残る巨大な石垣
お城らしいロマン溢れる風景です。旧一号線沿いから撮影しました。
豊臣秀吉が築城したとされる淀城は、淀古城と呼ばれ、この場所ではなく600メートルほど北、納所小学校の裏、妙教寺にあったと言われています。
豊臣秀吉が築城したとされる淀城は、淀古城と呼ばれ、この場所ではなく600メートルほど北、納所小学校の裏、妙教寺にあったと言われています。
天守台があったとされる場所は、封鎖されていて中に入ることができませんが、隙間から様子を伺うことができます。
美しい石段ですね。ここには二条城の旧天守が移築されたそうです。
美しい石段ですね。ここには二条城の旧天守が移築されたそうです。
広場と公園として活用されています
神社と隣接している淀城跡は、広場や公園として活用されています。
広場には慰霊碑なども置かれています。
広場には慰霊碑なども置かれています。
「明治天皇御駐蹕址」の石碑もあります。
1868年、海軍検閲のため大坂行幸行かれた際、淀城にご宿泊されたとのことです。
1868年、海軍検閲のため大坂行幸行かれた際、淀城にご宿泊されたとのことです。
現在は、広場や公園として使用されていて、地元住民の憩いの場となっていますよ。
ブランコなどはありますが、それほど遊具はないので広場といった方が近いかもしれませんね。
公園内には神社もあります
公園内に稲葉神社があります。淀城の藩主だった稲葉家の藩祖、・稲葉(越智)正成が祀られています。
隣接している與杼(よど)神社です。淀・納所・水垂・大下津あたりの氏神さまです。
本殿は昭和50年に焼失してしまったそうです。
城郭ファン必見の場所です。京阪、淀駅からもスグとアクセスもいいので、いちど足を運んでみてください。
本殿は昭和50年に焼失してしまったそうです。
城郭ファン必見の場所です。京阪、淀駅からもスグとアクセスもいいので、いちど足を運んでみてください。
淀城跡 クチコミ情報
淀城跡 基本情報
名称:淀城跡(よどじょうあと)
住所:京都市伏見区淀本町
住所:京都市伏見区淀本町
1623年に築城された淀城は、現在本丸の石垣や内堀しか残っていません。
2代将軍徳川秀忠の命で、廃城した伏見城の代わりとして築城されたそうです。