洛中にあるこじんまりとした神社
たまたまこの界隈を歩いていて。
これは、あの六文銭か?もう終わってしまったが、NHK大河ドラマ・真田幸村の家紋の。全然知りませんでしたが、こちらは真田幸村ゆかりの神社だそうです。
高松神明神社は、平安時代中期に源高明(みなもとのたかあきら)の邸宅であった高松殿の鎮守社として創建。
平安時代後期には、後白河天皇が高松殿で即位し、保元の乱(1156年)の際には、天皇の本拠地に。
途中、平治の乱で高松殿は焼失し神社だけが残り、永禄8年(1565年)に宥玉が社僧となり、神社は高松神明宮宝性院という神宮寺に。
明治時代には神仏分離令により、宝性院は廃寺となり現在の高松神明神社となった経緯。
平安時代後期には、後白河天皇が高松殿で即位し、保元の乱(1156年)の際には、天皇の本拠地に。
途中、平治の乱で高松殿は焼失し神社だけが残り、永禄8年(1565年)に宥玉が社僧となり、神社は高松神明宮宝性院という神宮寺に。
明治時代には神仏分離令により、宝性院は廃寺となり現在の高松神明神社となった経緯。
こちらは本殿。そして、真田幸村ゆかりの地蔵尊がこの隣りにあるんですが、不覚にも撮り忘れ(汗)
神明地蔵尊はかつて紀州九度山・善名称院真田庵にあり、関ヶ原の 戦いで敗れ、蟄居していた武将・真田幸村が毘沙門天とともに拝んでいた為、「幸村の知恵の地蔵尊」と言われています。
神明地蔵尊はかつて紀州九度山・善名称院真田庵にあり、関ヶ原の 戦いで敗れ、蟄居していた武将・真田幸村が毘沙門天とともに拝んでいた為、「幸村の知恵の地蔵尊」と言われています。
こんな六文銭をあしらった絵馬には知恵を授かるようにとの願いが込められています。
こんな水琴窟もあります。地中の瓶がよく響鳴するのか、耳をすまさなくてもわりと響き渡っていました。
おみくじやお守りもあります。
そして、マルシェも定期的に開催されてるようですね。ここの神社自体まったく認識していなかったので、機会あったらまたマルシェものぞいてみたいですね。
高松神明神社 へのツイート
京都の高松神明神社。幸村公の念持仏のお地蔵さまが祀られています
— ちゃー (@char100059) 2016年10月23日
お地蔵さまとは子煩悩な幸村公らしくてほっこりします
幸村の知恵が授かるようにと台座を撫でてから子供の頭を撫でるそうです(私も撫でましたw)
絵馬も六文銭と結び雁がねで雁金の部分は抜けて持ち帰れます!#真田丸 pic.twitter.com/ToKvehwvUo
詳細情報
住所
京都府京都市中京区津軽町790−1
電話番号
075-231-8386
拝観時間
9:00~18:00
京都府京都市中京区津軽町790−1
電話番号
075-231-8386
拝観時間
9:00~18:00