毎年恒例『萩まつり』は9月17日(終了)、23~24日開催☆
鳥居をくぐってすぐの参道に、こんな石碑が。京都大学・大阪大学名誉教授でノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士が詠んだ歌碑『千年の昔の園も かくやありし 木の下かげに 乱れさく萩』。湯川氏はかつてこの界隈で暮らしていたことから、神社ともゆかりがあり当社「萩の会」初代会長。
昨年、今年より1週間ほど早い時期に参拝しましたが、その時よりも開花が遅い印象です。なので、見ごろはもう少し先まで続きそうな雰囲気。
萩は秋の七草のひとつに数えられ、草かんむりに「秋」と書き、秋の花の代表格とも言えます。万葉集に詠まれた植物の中では最多(4516首のうち約140首)、観賞だけでなく食料、薬草、屋根材として暮らしに深い関わりをもつ植物。そして身近なところでは、秋のお彼岸に食べる和菓子『おはぎ』の名称は、この萩から由来しています。
古くから和歌や俳句にも詠まれた萩。それにちなんでということか、萩まつりでは府市民俳句大会が開催され、すでに終了していますが俳句の公募をされます。
萩は秋の七草のひとつに数えられ、草かんむりに「秋」と書き、秋の花の代表格とも言えます。万葉集に詠まれた植物の中では最多(4516首のうち約140首)、観賞だけでなく食料、薬草、屋根材として暮らしに深い関わりをもつ植物。そして身近なところでは、秋のお彼岸に食べる和菓子『おはぎ』の名称は、この萩から由来しています。
古くから和歌や俳句にも詠まれた萩。それにちなんでということか、萩まつりでは府市民俳句大会が開催され、すでに終了していますが俳句の公募をされます。
参道には色とりどりの短冊が下がり、見ると毛筆で俳句が書かれています。府市民俳句大会で詠まれた句ですかね。
その傍らに、薄紫色の萩の花。まだまだ見ごろは続く様子。この日は平日でしたが、多くの方が参拝に来られ、さらに境内で婚礼を挙げる方もいました。
手水舎には、京都三名水の一つに数えられ、千年以上も湧き続ける唯一現存する井戸『染井』。
平安時代前期、この場所には公卿摂政藤原良房の邸「染殿第」があった場所といわれ、染殿第は良房の娘明子(清和天皇の生母)の御所としても使われ、清和天皇も陽成天皇に譲位した後の御在所とされていた場所。染井の名称の由来は染殿第や宮中染所に用いられたことからなど諸説ありますが、千年以上前からこの水が使われていたのではないかと言われています。
私も少しいただきましたが、まろやかで飲みやすい名水。
平安時代前期、この場所には公卿摂政藤原良房の邸「染殿第」があった場所といわれ、染殿第は良房の娘明子(清和天皇の生母)の御所としても使われ、清和天皇も陽成天皇に譲位した後の御在所とされていた場所。染井の名称の由来は染殿第や宮中染所に用いられたことからなど諸説ありますが、千年以上前からこの水が使われていたのではないかと言われています。
私も少しいただきましたが、まろやかで飲みやすい名水。
17日に執り行われた府市民俳句大会の入選句が公開されています。私も日ごろ俳句をたしなんでいるので、これを作句の参考にしたいと思います(笑)
境内、中央に舞殿があり、そのさらに北側に拝殿。両脇の旺盛に生い茂る萩の葉。ここでも短冊が揺れています。まるで萩の森に来ているような、そんな錯覚を覚えるほど。
中には旺盛に開花している場所もあり、蝶や虻たちも萩の蜜を求めて集まっていました。
参道中ほどに授与所があり、名水を使ったおみくじや萩まつり限定御朱印も授与されています。9月23、24日は舞や居合、弓術披露などの行事、そして抹茶席も設けられる予定。私もタイミング合えば、当日再び参拝したいと思います。ぜひ、ふるってご参加ください!
梨木神社は、平安時代、藤原良房の娘染殿后の里御所・染殿第だった場所。明治18年(1885年)、明治維新に大きく貢献した三條實萬・三條實美父子を御祭神に創建。