JR東海CMにも登場した石段赤絨毯の名所「毘沙門堂」
石段を登って本堂へ行く前に、こちらの紅葉スポットである西側の石段チェック。JR東海『そうだ京都、行こう。』のポスターになったり、NHKが生中継にも訪れた名物スポット。
もはや完全に散紅葉状態ですね。紅葉の赤絨毯がこちらの名物スポットなのですが、今年は紅葉の進行が例年に比べ早かった様子。それでも観光客は皆、ここから撮影されていました。
もはや完全に散紅葉状態ですね。紅葉の赤絨毯がこちらの名物スポットなのですが、今年は紅葉の進行が例年に比べ早かった様子。それでも観光客は皆、ここから撮影されていました。
こちらは過去画像ですが、紅葉見頃だとこんな具合に大勢の観光客が行き来してたりするわけですが。
紅葉ピークは過ぎたものの、静かに境内をお参りして秋を惜しむのも、また風情あり。
正面に本堂。延暦寺根本中堂のご本尊薬師如来の余材をもって、天台宗の宗祖・伝教大師(最澄)自ら彫ったと伝わる毘沙門天像がご本尊として祀られています。
毘沙門堂の歴史は古く、大宝3年(703年)に行基によって創建されたと伝わり、当初は京都の出雲路(上京区)にあり「出雲寺」と呼ばれていましたが、平安時代末期に荒廃し、鎌倉時代初期に平親範によって再建。
江戸時代初期には、天台宗の僧・天海によって現在の山科に移転・復興。天海の弟子・公海がその後を引き継ぎ、寛文5年(1665年)に完成。この時期に毘沙門天を本尊としたことから『毘沙門堂』と呼ばれるように。
毘沙門堂の歴史は古く、大宝3年(703年)に行基によって創建されたと伝わり、当初は京都の出雲路(上京区)にあり「出雲寺」と呼ばれていましたが、平安時代末期に荒廃し、鎌倉時代初期に平親範によって再建。
江戸時代初期には、天台宗の僧・天海によって現在の山科に移転・復興。天海の弟子・公海がその後を引き継ぎ、寛文5年(1665年)に完成。この時期に毘沙門天を本尊としたことから『毘沙門堂』と呼ばれるように。
ワンチャン紅葉が残っているかと境内の東側、高台弁財天へ。
豊臣秀吉の母大政所が大阪城内で念じ、落城後北政所(ねね)が高台寺に移し祀っていた弁才天を公弁親王によりここに勧請。
豊臣秀吉の母大政所が大阪城内で念じ、落城後北政所(ねね)が高台寺に移し祀っていた弁才天を公弁親王によりここに勧請。
高台弁財天横、特にこの本堂裏手、江戸初期の回遊式庭園『晩翠園』まわりはまだ名残りの紅葉。水面に浮かぶ錦の絨毯。
国宝指定の紅葉散歩コース「山科疏水」
JR山科駅から毘沙門堂へ続く参道を横切るように流れる『山科疏水』。明治時代、琵琶湖の水を京都へ引き込もうとつくられた琵琶湖疏水。2025年5月、近代土木構造物としては初の国宝指定となり注目を集めるスポット。
その山科疏水沿い遊歩道の紅葉もチェック。四ノ宮から日ノ岡までの約4㎞コースのうち、東側は桜の木が多く完全に散紅葉状態ですが、西へ向かうほどまだ紅葉を楽しめます。
その山科疏水沿い遊歩道の紅葉もチェック。四ノ宮から日ノ岡までの約4㎞コースのうち、東側は桜の木が多く完全に散紅葉状態ですが、西へ向かうほどまだ紅葉を楽しめます。
時折ウォーキング、ランニングに励む人とすれ違ったり。そして、この遊歩道は作家・村上春樹のお気に入りランニングコースとも言わている場所。この時期であれば、目の保養にもなるランニングコースですね。
名称:山科疏水
場所:京都市山科区安朱馬場ノ東町607
名称:山科疏水
場所:京都市山科区安朱馬場ノ東町607
すでに紅葉のピークは過ぎていることを知りつつ、小春日和の中やってきました。12月9日撮影。