戦国武将・豊臣秀吉ともゆかりのある橋
伏見区、京阪宇治線の駅名にもなり、宇治川(淀川)で隔てられた向島方面へ向かう際の要衝『観月橋』。
その観月橋、宇治川下流には平戸樋門があります。
現在の橋はもちろん近年になって建てられたものですが、その歴史は古く、鎌倉時代末期には桂橋(両郡橋又は指月橋)という名称で存在したと言われています。
かつて、京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがるこの辺りには琵琶湖を水源とする巨椋池(おぐらいけ)が存在し、その規模は池というより湖と言うにふさわしいほど。桃山時代 には、伏見に城下を構えた豊臣秀吉が巨椋池(宇治川)に堤防を築く河川改修の大工事に着手。その一つとして、当時の宇治橋を伏見城下であったこの地に移設。工事にあたった豊後大友氏により『豊後橋』と命名。現在の住所にもその名が残っています。
かつて、京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがるこの辺りには琵琶湖を水源とする巨椋池(おぐらいけ)が存在し、その規模は池というより湖と言うにふさわしいほど。桃山時代 には、伏見に城下を構えた豊臣秀吉が巨椋池(宇治川)に堤防を築く河川改修の大工事に着手。その一つとして、当時の宇治橋を伏見城下であったこの地に移設。工事にあたった豊後大友氏により『豊後橋』と命名。現在の住所にもその名が残っています。
江戸時代まで、18回の架け替えや修復の工事が行われましたが、鳥羽・伏見の戦いで豊後橋は焼失。その後、渡し船が就航。1873年には再建され、それに伴い現在の呼称『観月橋』と命名。豊臣秀吉がかつてこの辺りで催した月見の宴がその由来とか。
さらに1975年には2階建て構造の橋に架けかえられ開通。1階部分は観月橋北詰交差点で京都外環状線(京都府道7号京都宇治線)に接続する歩道が設置された側道となり、2階部分は国道24号で外環状線や京阪宇治線を立体交差。
個人的に橋というより地名としてなじみ深い観月橋ですが、かつてのこの辺りの地理ともリンクする、古い歴史をたどった橋であることを、改めて知りました。
個人的に橋というより地名としてなじみ深い観月橋ですが、かつてのこの辺りの地理ともリンクする、古い歴史をたどった橋であることを、改めて知りました。
観月橋へのツイート
もともと豊後橋だったのが観月橋になったところ https://t.co/AEKWsVKTEn
— mamo (@mamo3001) September 23, 2018
基本情報
名称:観月橋
住所:京都市伏見区豊後橋町
住所:京都市伏見区豊後橋町