由良川沿い城下町にある水害の歴史、取組みを知る施設
そんな場所を市が治水記念館として運営。入場無料施設。水害と水防の歴史を語り継ぎ、これからの治水・防災のあり方を考えるための施設。
ここ福知山では、昔から水害が多発する土地。
今年から始まるNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公・明智光秀も、かつて城下町整備とともに、度重なる由良川の氾濫による水害対策として『明智藪』といわれる土塁堤防を築いたことは、今でも地元の人にとって語り草。それくらい、町の歴史は水害の歴史とも言える場所。
ここ福知山では、昔から水害が多発する土地。
今年から始まるNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公・明智光秀も、かつて城下町整備とともに、度重なる由良川の氾濫による水害対策として『明智藪』といわれる土塁堤防を築いたことは、今でも地元の人にとって語り草。それくらい、町の歴史は水害の歴史とも言える場所。
施設は、かつての呉服屋の商家をそのまま活かした形で利用。まず、入ってスグの場所に、建物の特徴を紹介。この水害の多い場所ならではの、独特の構造になっています。
さらに奥へすすむと土蔵が。中はミニシアターになっていて、由良川の自然・環境・災害などを身近に感じられる映像が視聴できます。
その土蔵裏には由良川があり、さらにその脇に、こんなモニュメント。過去の水害水位を表す表示になっていて、かつてこの建物をすっぽりと覆うほどの水害に見舞われたことがわかります。
由良川は、京都、滋賀、福井の府県境にある三国岳の西・杉尾峠が源流。京北の京都大学芦生研究林から南丹市を西流し、途中綾部市などを流れ福知山市でカーブを描き北東へと流れ、若狭湾に注ぐ。川は多くの土砂を伴い堆積しながら流れるため、川底が周囲の地面よりも高くなる傾向。そのため、川沿いにはかなり高い堤防が築かれています。
由良川は、京都、滋賀、福井の府県境にある三国岳の西・杉尾峠が源流。京北の京都大学芦生研究林から南丹市を西流し、途中綾部市などを流れ福知山市でカーブを描き北東へと流れ、若狭湾に注ぐ。川は多くの土砂を伴い堆積しながら流れるため、川底が周囲の地面よりも高くなる傾向。そのため、川沿いにはかなり高い堤防が築かれています。
建物の2階へ。すると、『タカ』と呼ばれる吹き抜けとテラス、荷揚げ用の滑車がついています。床下浸水した際、商品であった着物類を濡らさないよう上階に運び上げるために使用。水害に対応した特徴的な構造。
2階では過去にあった、水害の様子やそのの恐ろしさをモニターや展示で紹介。
2階の窓から見える、水位モニュメントとさらに背後にある由良川堤防。こんな高い位置にいるにもかかわらず、さらに上をいく過去水害時の水位とそびえる堤防。
水害は過去の話でもなく、近年でも台風接近に伴い、水害に見舞われた福知山の様子をニュースで知ることしばしば。今回のナビゲーションをしてくださった職員の方も福知山在住ですが、台風が接近する度、川の氾濫や水害の不安に襲われるそうです。
戦国武将・明智光秀の頃から今も続く、自然災害の歴史。都市整備もそんな観点が色濃く反映されていることを、史跡めぐりとともに踏まえたいですね。
水害は過去の話でもなく、近年でも台風接近に伴い、水害に見舞われた福知山の様子をニュースで知ることしばしば。今回のナビゲーションをしてくださった職員の方も福知山在住ですが、台風が接近する度、川の氾濫や水害の不安に襲われるそうです。
戦国武将・明智光秀の頃から今も続く、自然災害の歴史。都市整備もそんな観点が色濃く反映されていることを、史跡めぐりとともに踏まえたいですね。
福知山市治水記念館 へのツイート
今日は、福知山の洪水の歴史などを展示紹介している治水記念館に行きました❗
— 神田真吾 (@skhs5151) October 21, 2019
映像や、案内係の方の説明が分かりやすく、福知山やつくづく水害との戦いの町だなと思いました。
その後、いつも通り大空説法でした! pic.twitter.com/ZaXCt4TZo9
詳細情報
住所:京都府福知山市字下柳39
電話番号:0773-22-4200
開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/27~1/4)
入館料:無料
関連サイト:https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=8199&r=1553853229.1411
電話番号:0773-22-4200
開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/27~1/4)
入館料:無料
関連サイト:https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=8199&r=1553853229.1411
そんな中、市内で最も古い町家の一つ。明治13年(1880)の建築。当時は由良川を利用した舟運が盛んで、商いが盛んだった場所。この建物も、かつては呉服屋さんでした。