鳥羽街道口にあると鳥羽地蔵
上鳥羽、京都南インター口にも近く、国道一号線を西へ行った住宅街。古い家が立ち並び、いかにもかつての鳥羽街道の趣きを残す場所。現在では、千本通りにあたります。というか、こんな下の方まで千本通りが続いてたことに驚き。
そんな鳥羽街道口にあるこちらのお寺。一般的には「恋塚浄禅寺」と呼ばれていますが、浄土宗西山禅林寺派の総本山永観堂の末刹寺、恵光山浄禅寺が正式名。
お寺の南横に、開放されてはいませんが、もう一つ寺門が。
平安末期の北面の武士・遠藤盛遠は、渡辺左衛門尉源渡の妻袈裟に恋し、源渡を殺して袈裟御前を我ものにしようとするが、夫の身代わりとなって袈裟御前は遠藤盛遠に殺されてしまう。遠藤盛遠は自らの罪を悔いて出家し文覚上人となり、袈裟御前の菩提を弔うために、1182年(寿永元年)に寺を開基。
境内には袈裟御前の首塚(恋塚)と、林羅山の撰文による恋塚碑が並ぶ。
手水舎ではポンプ式のようですが、地下水が注がれ、飲用可能みたいです。
観音堂。こちらには平安時代、9-10世紀の十一面観世音菩薩が安置。かなり見事な仏像でした。
六角堂。
平安時代初めに、小野篁(のたかむら)が、一本の桜の木から六体の地蔵を彫りだしたうちの一体がこちらに安置。
平安時代初めに、小野篁(のたかむら)が、一本の桜の木から六体の地蔵を彫りだしたうちの一体がこちらに安置。
後白河天皇の勅命で平清盛が疫病退散のため、保元年間(1156~1159年)に西光に命じて街道口6カ所にそれぞれ六角堂を建て、六体の地蔵菩薩像を一体ずつ分置。
その一つがこの鳥羽街道口にある鳥羽地蔵。
境内には梅の花もちらほら開花。
本堂には、ご本尊の阿弥陀如来像と袈裟御前像が安置。
そして、街道沿いらしく、目印となる大木・クスノキも。悲恋からの開基、そして鳥羽地蔵尊。いろいろな物語を秘めたお寺。
恋塚 浄禅寺 へのツイート
【第211回:「鳥羽地蔵」浄禅寺と恋塚】京の六地蔵のひとつ「鳥羽地蔵」。かつての京の6つの出入り口のうち「西国街道」沿いに祀られた地蔵です。またそこは、「恋塚(=鯉塚?)」の話でも有名です。 https://t.co/klBItWkSdl pic.twitter.com/XOLl56U7Vq
— 京都妖怪探訪@専用アカウント (@yokaitanho) 2018年10月3日
詳細情報
住所:京都市南区上鳥羽岩ノ本町93
電話番号:075-691-3831
拝観時間:9:00~17:00
拝観料:無料
電話番号:075-691-3831
拝観時間:9:00~17:00
拝観料:無料