知る人ぞ知る季節の花『蓮の花』の穴場名所
伏見区、醍醐寺からさらに南に下った日野エリアにある、真言宗醍醐派の別格本山寺院『法界寺』。以前秋に訪れた際、ここが蓮の花の隠れた名所であることを御住職から聞き、今度来る時はぜひ蓮の花の開花時期にと思い、やってきました。(7月6日撮影)
法界寺は藤原氏の一族・日野家の氏寺として創建され、平安時代後期・永承6年(1051年)、日野資業によって建立。以来「日野薬師」や「乳薬師」として親しまれてきたお寺。
また、法界寺は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の生誕地としても知られ、この近くには日野誕生院も建てられています。
また、法界寺は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の生誕地としても知られ、この近くには日野誕生院も建てられています。
この日は休日に訪れましたが、境内にはほとんど参拝客なく、ひっそり静かに境内をめぐることができます。紫陽花も所々で見られたり。
さらに、この猛暑でぐったり気味ながら、桔梗の花も咲き誇っていました。
国宝・阿弥陀堂。
平等院鳳凰堂と相前後して建立された藤原時代の様式を残す建物で、承久3年(1221年)の兵火で焼失し、現在の建物はその後間もない頃に建立されたものと推定。
内部には平等院鳳凰堂の本尊に最も近い平安時代後期の様式、国宝・御本尊阿弥陀如来坐像を安置。御本尊を囲む建物は四天柱(方形をなすように配置された4本の柱)が立つのみで間仕切りなく、その内部には極楽浄土を描いた装飾画も残り、中には漆喰壁に施させたかなり珍しい彩色も。かつてはその周りを念仏を唱えながら人々が歩いてめぐったとか。
平等院鳳凰堂と相前後して建立された藤原時代の様式を残す建物で、承久3年(1221年)の兵火で焼失し、現在の建物はその後間もない頃に建立されたものと推定。
内部には平等院鳳凰堂の本尊に最も近い平安時代後期の様式、国宝・御本尊阿弥陀如来坐像を安置。御本尊を囲む建物は四天柱(方形をなすように配置された4本の柱)が立つのみで間仕切りなく、その内部には極楽浄土を描いた装飾画も残り、中には漆喰壁に施させたかなり珍しい彩色も。かつてはその周りを念仏を唱えながら人々が歩いてめぐったとか。
その隣にある薬師堂。藤原氏の北家にあたる日野家が、弘仁13年(822年)に最澄自作の薬師如来小像を祀り、その後平安時代後期の永承6年(1051年)、日野資業が薬師如来像を造り、その小像を胎内に収め薬師堂を建立。創建当初の建物は早くに焼失し、現在のものは明治37年奈良県竜田の伝燈寺本堂を移築したもの。
本尊・重要文化財の秘仏・薬師如来立像が胎内に小像を収めていることから、妊産婦からの信仰を集め、安産や授乳のご利益をもつ「乳薬師」として古くから信仰を集めています。現在も、お堂の格子戸には数多くのよだれ掛けが奉納。
本尊・重要文化財の秘仏・薬師如来立像が胎内に小像を収めていることから、妊産婦からの信仰を集め、安産や授乳のご利益をもつ「乳薬師」として古くから信仰を集めています。現在も、お堂の格子戸には数多くのよだれ掛けが奉納。
さらに、境内の南側に広がる蓮池。その蓮葉の緑に池が覆われた様からも、その数の多さがわかります。
で、蓮の花のつぼみは多数確認されつつも、まだ開花には早かった様子。
これが一斉に咲き始めれば、かなりの極楽浄土的絶景になることが想像できます。
観光客も少なく、静かに蓮の花を楽しめる穴場寺院。開花の見頃を迎える時期も、もう間もなく。ご参考に。
観光客も少なく、静かに蓮の花を楽しめる穴場寺院。開花の見頃を迎える時期も、もう間もなく。ご参考に。