古代有力者の葬礼地
一応、キャンパスマップで確認。ですが、これには示されていません(汗)まあ、学生や大学関係者にはあまり関係のない、マイナースポットということでしょうか。
北門を直進します。この日は休日だったので、構内も閑散としてましたが。
その途中、理学研究科セミナーハウスの案内板のあるあたり。
校舎が立ち並ぶ、その間にある開けた空間。そこに、クリスマスツリーを思わせるモミの木ですかね。奥にあり、その手前。奥の木に比べれば小さめですが、1本松の木の植え込みが。
しかも、ちょっと独特。
2重の方形溝があり、その中に土盛りされ、その土盛りに這うような形で松の根っこが放射状に露出。
2重の方形溝があり、その中に土盛りされ、その土盛りに這うような形で松の根っこが放射状に露出。
こちらが、今回の目的地。
1978年の発掘調査の際、発見された12世紀終わりごろの施設跡。古記録や類似調査例から、火葬塚と判明。
かつて平安京の北東に位置する吉田山周辺は、古代の有力者の葬礼の地となっていました。昔は土葬が一般的でしたが、身分の高い人物の葬法として遺体を焼き遺骨を埋葬地に納める一方、火葬地を『火葬塚』として祀っていました。
塚上の松は、当時の葬礼次第を記した『吉事略儀』を参考に、復原的に植えたもの。全国的にも希少な遺跡として、1983年に京都市の登録史跡に。
1978年の発掘調査の際、発見された12世紀終わりごろの施設跡。古記録や類似調査例から、火葬塚と判明。
かつて平安京の北東に位置する吉田山周辺は、古代の有力者の葬礼の地となっていました。昔は土葬が一般的でしたが、身分の高い人物の葬法として遺体を焼き遺骨を埋葬地に納める一方、火葬地を『火葬塚』として祀っていました。
塚上の松は、当時の葬礼次第を記した『吉事略儀』を参考に、復原的に植えたもの。全国的にも希少な遺跡として、1983年に京都市の登録史跡に。
他とはちがう、土着的な古代遺跡の雰囲気も漂う貴重な史跡。それが大学内で見られるのも面白いですね。
火葬塚へのツイート
復元火葬塚。鴨東地域でよく見かける、高貴な方の火葬塚。京大の北部キャンパス内で発掘された12c頃のものが地下に保存、復元されている。二重の方形溝を巡らせ塚の上に松が植えてある。3,4枚目は吉田泉殿町の入り組んだ所にある村上天皇皇后安子の火葬塚。陵墓同様に厳重に管理されている。 #京都 pic.twitter.com/XEpTfjwvH1
— 粟津サヤカ (@off_hours4tw) November 28, 2018
基本情報
名称:火葬塚
住所:京都市左京区北白川追分町
住所:京都市左京区北白川追分町
今回はこの構内にある史跡を求めてやってきました。